哨戒機は「転職組」が増加中 不振の旅客機から華麗に転身したP-3の拓いた「道」とは?
洋上での潜水艦監視などを主任務とする哨戒機、海上自衛隊が運用するP-3Cは、実は純粋に哨戒機として設計されたものではありませんでした。その開発経緯をたどりつつ、世界の「転職組」哨戒機を概観します。
海上自衛隊の哨戒機P-3C 実は「転職組」
防衛省は2020年6月20日(土)、海上自衛隊が18日(木)午後に奄美大島(鹿児島県)の北東の海域(接続水域内)を西進する潜没潜水艦を確認したことを明らかにしました。また20日午前、同じ潜水艦が横当島(鹿児島県)の西の海域(接続水域外)を西進していることも確認しています。
海上自衛隊はこの潜水艦の情報収集と警戒監視に、ヘリコプター搭載護衛艦「かが」をはじめとする艦艇に加えて、鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)の第1航空群に所属するP-1哨戒機と、那覇航空基地(沖縄県那覇市)の第5航空群に所属するP-3C哨戒機も投入しました。
P-1とP-3Cはともに高い能力を持つ哨戒機ですが、P-1が純粋な哨戒機として設計、開発された航空機であるのに対し、P-3Cはロッキード(現ロッキード・マーチン)が開発した、ジェットエンジンの排気を回転力に変換しプロペラを駆動させるターボプロップエンジン搭載の旅客機、L-188「エレクトラ」を基に開発された航空機であるという、大きな違いがあります。
「エレクトラ」の開発が開始された1954(昭和29)年の時点では、すでにイギリスが開発した世界初のジェット旅客機であるデ・ハビラント「コメット」が就役していましたが、就役直後に事故を頻発したことや、燃費の高さなどから、ジェット旅客機は時期尚早であるとの声も少なからずあり、ジェット機に比べて堅実で経済性も高いターボプロップ旅客機の「エレクトラ」には、大きな期待がかけられていました。
しかし「エレクトラ」の初飛行(1957〈昭和32〉年12月6日)から遅れること2週間後の同年12月20日に、ターボプロップ機では実現不可能な高い飛行性能とそれなりの経済性を両立したボーイングの707が進空したことに加えて、「エレクトラ」が「コメット」と同様、就役直後の1959(昭和34)年と1960(昭和35)年に2度の大事故を起こします。こうしたこともあって「エレクトラ」のセールスは低迷し、同機は1957年の生産開始からわずか4年後の1961(昭和36)年に、167機をもって生産終了を余儀無くされてしまいました。
軍用機と旅客機の間は曖昧って話ですかね……。
そういやB747は「輸送機の選定に落ちた。米軍許さん」が気がつけば輸送機の選定に該当するより遥かに多くのセールスを記録してますし、日本の航空会社大好きB767(多分TDA→JAS以外の全てのボーイング機運航会社が一度は使用しているはず)は早期警戒管制機のE-767や給油機KC-767にもなってますし。ってその2機種も空自が主要顧客ですか……。