スターリンに嫌われた「スホーイ」…なぜ? 実は1度潰れていた東側戦闘機メーカーの雄

ロシアの航空機メーカーとして、旧ソ連時代からその名をとどろかせる「スホーイ」ですが、実は1度、歴史からその名を消しています。そしてそれは、いまなお同社内で尾を引くある問題の原因になりました。

老舗航空機メーカー スホーイの「冷遇時代」とは?

 旧ソ連から続く、ロシアの戦闘機開発メーカーとして知られるスホーイ社。大型双発戦闘機Su-27「フランカー」シリーズで世界の戦闘機市場を席捲し、さらにステルス戦闘機の開発でアメリカに次ぐ地位にあるなど、いまや「スホーイ」ブランドはロシア最大の輸出品のひとつとなっています。

 正式名「株式会社(JSC)スホーイカンパニー」は旧ソ連時代、第51実験設計局(OKB-51)、通称スホーイ設計局という名の国家機関でした。

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スホーイ最初の成功作Su-2攻撃機。主力攻撃機イリューシンIl-2が揃うまでの時間稼ぎ的機体ではあったが、大戦初期の劣勢なソ連には貴重な攻撃機だった(関 賢太郎撮影)。

 実は旧ソ連には、もうひとつ「スホーイ設計局」と名乗った戦闘機開発組織があります。2020年現在、存続しているスホーイはふたつ目のスホーイ設計局です。

 最初のスホーイと第2のスホーイ、どちらもそのリーダーは航空技師パベル・オシポヴィッチ・スホーイであり、まったくの同一人物です。なぜ同じ人物が同じ名前の、違う航空機メーカーを率いることになったのでしょう。それは、第1のスホーイ設計局は一度、完全に「潰れた」ためでした。

 航空技師スホーイは、1939(昭和14)年の第2次世界大戦勃発直前にその能力を認められ、初めて設計局長に任命されました。「ハリコフ第135工場設計局」、それが彼にとっての最初の「スホーイ設計局」でした。第2次世界大戦中はドイツ軍襲来を避けるためモスクワへ疎開、第289工場設計局へ改名され、終戦後はさらに第134工場設計局となります。

 そして1949(昭和24)年。第1のスホーイ設計局である第134工場設計局を悲劇が襲います。当時、開発中であった新しいジェット戦闘機Su-15が墜落事故を起こしたことを理由に、設計局ごと閉鎖が命令されたのです。残念ながら戦闘機開発において事故はつきものです。それを理由に閉鎖されるのはあまりに理不尽でした。

【写真】スホーイといえば「フランカー」 Su-27戦闘機の曲技飛行!

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