スターリンに嫌われた「スホーイ」…なぜ? 実は1度潰れていた東側戦闘機メーカーの雄

スターリンの逆鱗に触れた? スホーイが1度閉鎖された経緯

 あまり有名ではありませんが、スホーイが最初に開発したSu-2は約1000機を量産するなど、一応の成功作もありました。もっとも競合機はけた違いの3万6000機を生産したイリューシンIl-2ではありましたが。ほかの設計局も、最初のジェット戦闘機は特にひどく、ミグMiG-9は機銃を撃つとエンジンが止まるため射撃禁止、ヤコブレフYak-15はエンジンを回すと機体が焼けるため2度も完全な再設計を必要とするなど、どちらも飛びはしたものの、まともに運用不可能な欠陥機でした。

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最初のスホーイが開発したSu-9はドイツ製ジェットエンジンをコピーした。ドイツのMe262と酷似していることがスターリンに嫌われたという(画像:スホーイ)。

 このスホーイ設計局閉鎖の決定には、スホーイがドイツのMe262ジェット機にそっくりなSu-9を開発し、独裁者スターリンに嫌われたため、とも噂されます。またヤコブレフのリーダーであるアレクサンドル・ヤコブレフは、スホーイより11歳も若くスターリンのお気に入りであり、ミグのリーダーのひとりアルチョム・ミコヤンは実兄が閣僚とあって、政治的な予算削減のしわ寄せが必然的にスホーイへ回ってきたともされます。

 ともあれ1949年に第1のスホーイ設計局である第134工場設計局は閉鎖され、スホーイはツポレフ設計局の副主任へと事実上、降格させられます。しかしスホーイはツポレフにおいて自身の仕事をこなしつつ、裏で戦闘機の技術研究を続けました。

 スホーイの野心は1953(昭和28)年3月5日、意外にも早く結実します。スターリンが死去したのです。スターリンの死に対してスホーイがどう感じたのかは分かりませんが、事実としてはスターリン死後わずか2か月で、彼は第1実験設計局(OKB-1)の主任へ返り咲きました。

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