スターリンに嫌われた「スホーイ」…なぜ? 実は1度潰れていた東側戦闘機メーカーの雄

復活のスホーイ そして「戦闘機の王」へ

 スホーイは、かつて第134工場設計局に在籍していた技術者たちをすぐに呼び寄せます。そして1954(昭和29)年1月、彼はついに新生スホーイ設計局である第51実験設計局(OKB-51)の名を正式に獲得しました。

 この事実はスホーイ社さえ「運命的な布告」「戦闘機の王の栄光」と呼んでおり、彼らはすぐにミグに次ぐ地位を得ました。スホーイの凋落にはひとりの独裁者の存在があったことはほぼ間違いなく、もし歴史が少し違ったら、現在の「戦闘機の王」を自称するスホーイは存在しなかったかもしれません。

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マッハ2級迎撃戦闘機Su-9。MiG-21と同等機だが搭載電子機器で勝った。スホーイ社では同名の違う機体と混同しWW2中に開発開始したことになっている(関 賢太郎撮影)。

 雌伏の時を経て見事、復活したスホーイですが、あえて苦言を呈すなら、機体のSuナンバーをまた1から振りなおすことだけはやめておくべきだったということです。心機一転したかったのかもしれませんが、後に開発されたSu-7、Su-9、Su-11、Su-15、Su-17といった冷戦時代のスホーイ成功作の名は全てすでに使われており、スホーイ設計局は自身だけではなく「同じ名前の別の機体」まで大量に生み出してしまいました。

 2020年現在、スホーイ社公式サイトの過去の開発機体紹介ページでさえ、最初のスホーイが命名した機体と、現スホーイが命名した機体とを混同しており、「第2次世界大戦中に(本来は冷戦中)マッハ2級のSu-9を開発し、冷戦中に(本来は第2次世界大戦中に)Me262そっくりな亜音速のSu-9を開発していた」という、「どうしてこうなった」と頭を抱えたくなるような状況になってしまっています。

【了】

【写真】スホーイといえば「フランカー」 Su-27戦闘機の曲技飛行!

Writer: 関 賢太郎(航空軍事評論家)

1981年生まれ。航空軍事記者、写真家。航空専門誌などにて活躍中であると同時に世界の航空事情を取材し、自身のウェブサイト「MASDF」(http://www.masdf.com/)でその成果を発表している。著書に『JASDF F-2』など10冊以上。

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