いわゆるラスボスっぽい「日本海軍連合艦隊旗艦」 その最後が軽巡「大淀」だったワケ

戦い方がガラリと変わったWW2の海戦 「旗艦」の意味するところは?

 しかし第2次世界大戦では、もはや艦隊列線同士が砲戦を繰り広げるような戦闘は無くなります。旗艦は前線に出ることなく、後方から無線通信を駆使して全体指揮を執るようになりました。戦局は拡大し、連合艦隊司令部は太平洋に広く展開する何万もの兵力、艦船、航空機を指揮、統括、管理しなければならない巨大官僚組織になります。そこには大砲も装甲も必要ありません。欲しいのは事務官、机と椅子、電話や無線の通信設備、執務居住空間です。

 後方で動かない大和型戦艦は「ヤマトホテル」「武蔵屋旅館」と揶揄されましたが、海軍省連合艦隊司令部「大和庁舎」「武蔵庁舎」といった方がぴったりくるかもしれません。平時なら大戦艦が「ラスボス」イメージを押し出してアピール効果は期待できますが、戦時ともなると、せっかく高い戦闘力を持つ戦艦を庁舎扱いで後方に置いたままにしておくことはできません。そのような事情から、戦うラスボスとして戦線に復帰する「大和」や「武蔵」などの大戦艦から旗艦任務を引き継いだのが、軽巡洋艦「大淀」でした。

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1943年6月に呉港で撮影されたと推定される「大淀」。

 1944(昭和19)年3月6日から「大淀」を旗艦にする改装が始まり、同年5月1日に完了します。5月3日、連合艦隊司令長官に着任した豊田副武(そえむ)大将は「(従来の戦艦と比べて)こんな小さな船で戦死してしまったら連合艦隊の足元を見られる」と嘆いたといわれます。もはや見栄を張るような戦局ではなかったのですが、やはり「旗艦=ラスボス」の感覚は強かったようです。

【写真】「大淀」甲板上の連合艦隊司令長官 豊田大将

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コメント

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1件のコメント

  1. かくてミサイルの世となり旗艦は比喩的表現にその名を残すのみに…帽を振れー!