国鉄の記事一覧
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ホームの屋根落ち火の手も 東京駅と関東大震災 犠牲者ゼロにした駅員の神対応
9月1日が「防災の日」に制定されるきっかけとなった関東大震災では、東京圏を激震が襲い、さらに広域で火災が発生しました。火の手が迫る中、被害を最小限に食い止めようと東京駅で奮闘した駅員がいました。
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鉄道「レア車両」はなぜ生まれる? 1編成で製造打ち切り それぞれの理由
小規模な鉄道会社でなくても、1編成分しか製造されなかった車両が存在します。新技術を採用し、試作のため元から1編成しか製造しなかったなど、理由は様々です。中には会社の記念に1編成だけ製造した例もあります。
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京急の品川駅が今に至るまで 過去に2度移転 ターミナルビルも 悲願の東京市内乗り入れ
京急本線の品川駅は今、JR線に隣接しています。しかし開業当初から現在の地にあったわけではありません。悲願の東京市内乗り入れ、ターミナルにふさわしいビルディング建設など、京急品川駅の歴史を見ていきます。
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「灼熱通勤」の思い出 都会でも日常だった冷房のない電車 懐かしいけど戻りたくない…
JRも私鉄も、都市部では1990年代まで冷房のない電車が走っていました。汗だくになりながら皆、通勤通学したものです。地下鉄では暑さ対策でトンネルを冷房したことも。今こそ当たり前になった冷房車の歴史を振り返ります。
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JR品川駅8番線の「臨時ホーム」なぜ存在? かつて上越方面に向かった特急列車も
現在、品川駅の8番線は定期列車の発着がありません。案内板には「臨時ホーム」と書かれていますが、どのような目的で造られ活用されているのでしょうか。国鉄時代から上野駅や東京駅に代わって、このホームを発車した臨時列車がありました。
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転々と場所を変えた京王線の始発駅「新宿」 その歴史をたどる 悲願の繁華街到達も…
京王線の始発駅である新宿は今、JR線の西側の地下にあります。しかし現在の地に落ち着くまで、駅は改称と移転を繰り返しました。当時の新宿の中心を目指して延伸するも、戦災が暗い影を落とします。
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海を越えた鉄道「欧亜国際連絡列車」 新たに「日本遺産」へ認定 その狙いと背景を聞いた
日本の個々の文化財をストーリーでつなげパッケージ化されたものを文化庁が認定する「日本遺産」には、鉄道も含まれています。2020年度に認定された、かつての東京~ヨーロッパ間の「欧亜国際連絡列車」について、担当者に話を聞きました。
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偶然? 西と東のJR207系 数字は同じだがまったく別物 それぞれどんな車両?
鉄道車両の形式は、JR各社間で重複しないように付番されますが、かつてJR東日本とJR西日本には、「207系」という形式番号が共通して存在しました。とはいえ数字が同じだけでも車両はまったく別物。それぞれどんな車両でしょうか。
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何が「スーパー」だったのか ほぼ全国を走るも激減したJR特急名 一時は新幹線にも
国鉄の分割民営化後、とりわけ1990年代にJRで多数設定された「スーパー○○」という列車名が、ダイヤ改正のたびに数を減らしています。いまやJR西日本でわずかに残るのみ。なぜ減ってしまったのでしょうか。