快速より普通が混むことも 東京メトロ東西線はなぜ有数の混雑路線になったのか

中野~西船橋間を、東京都心を突っ切るように走る東京メトロ東西線は、なぜ有数の混雑路線になったのでしょうか。路線の持つ性格は、開通直後とその後とで様変わりし、また現在も混雑緩和に向けた取り組みは継続中です。

当初は東陽町までで計画された地下鉄5号線こと東西線

 東京都の中野駅から千葉県の西船橋駅までを結ぶ東京メトロ東西線は、日本の地下鉄路線の中で最も利用者が多い路線であり、また最も混雑が激しい路線です。現在は新型コロナウイルスの影響で利用が減少していますが、コロナ禍以前の輸送人員は1日平均146.7万人(2018年度)で、朝ラッシュ時間帯ピーク1時間の平均混雑率は199%(2018年度)にも達していました。

 東西線は東京の地下鉄路線では珍しい、沿線在住者が多い路線です。東京メトロの他路線と接続していない単独駅の1日平均乗降客数(2018年度)を見ると、東陽町駅が約12.5万人、葛西駅が約10.8万人、西葛西駅が約10.6万人と、上位を東西線の駅が占めており、この他にも浦安駅、木場駅、南砂町駅、行徳駅、南行徳駅、妙典駅など乗降客数5~8万人クラスの中規模駅が並びます。東西線の沿線人口、そして利用者数はどのようにして伸びてきたのでしょうか。

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東京メトロ東西線の深川車両基地(2017年6月、中島洋平撮影)。

 東西線の建設計画は1925(大正14)年、池袋から飯田橋、東京を経て洲崎(現在の東陽町付近)に至る「地下鉄5号線」として出発し、戦後の計画改定で中野から高田馬場、飯田橋、大手町を経由して東陽町に至る現在のルートに改められ、1969(昭和44)年に全線開業しました。

 当初、東陽町止まりだった路線が西船橋まで延伸されたのは、東京東部、千葉県西部の交通空白地域の解消を図るとともに、当時300%近い混雑率を記録していた国鉄総武線の混雑緩和を図るためでした。

 総武線のバイパスとしての機能を高めるため、東西線は国内の地下鉄としては初めて追い越しを伴う本格的な快速運転を行います。当時の快速は総武線から都心への通勤利便性を確保するため、西船橋~東陽町間の途中駅は全て通過していました。

【写真】東西線直通用 国鉄初のオールアルミ車体「301系」

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コメント

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2件のコメント

  1. 西船橋からの運賃(特に定期)をあげたらどうですか。総武線もかなり混んでいる方だけど。

  2. 昔は7両編成と10両編成混在の時期がありました。10両編成が発射したあと、7両変成の列車が到着すると、10両分で待ち構えていた乗客が7両分に圧縮されて乗り込むので特に先頭車や最後尾は大変な混雑でした。
    それと、葛西-西船橋の地上区間では陽当たりがよく、冷房のない車両では大変酷でした。その際、握り棒などが、火傷しそうなくらい熱くなっており混雑で押しつけられると大変苦痛でした。いまは随分ましになりましたが。