旧日本海軍の記事一覧
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世界最大の戦艦「大和」沈没-1945.4.7 航空だけではなかった“特攻作戦”
旧日本海軍の戦艦「大和」が1945年の今日、沈没しました。沖縄戦が始まり、その掩護のために艦隊を成して沖縄へ向け出撃しましたが、アメリカ軍の圧倒的な航空戦力を前に、作戦は失敗に終わりました。
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戦艦から転身 空母「加賀」竣工-1928.3.31 廃艦の危機を乗り越え主力艦へ
旧日本海軍の空母「加賀」が1928年の今日、竣工しました。戦艦として進水するも、後に空母に改装された経緯があります。その証拠が名称。ただ空母になった後も、艦載機の運用を巡り試行錯誤が続けられました。
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世界で2隻だけ現存「戦前日本の軍艦」タイでの“余生”とは? 会いに行ったら珍道中に
タイのバンコク郊外に、戦前の日本で建造された軍艦が保存されています。バンコクから電車、船、さらに“原付”を乗り継ぎ出会えた軍艦は、ほぼ”そのまま”の姿。世界に2隻しかない貴重な存在です。
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局地戦「雷電」が初飛行した日-1942.3.20 太い胴体が奏功? B-29相手に勇戦奮闘
1942年の今日、旧日本海軍の局地戦闘機「雷電」が初飛行しました。主な任務は敵機の迎撃。高速かつ優れた上昇能力を追求しました。戦争末期には本土に襲来するB-29を複数撃墜しています。2020年、部品の一部が座間市で発見されました。
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知られざる「日本海軍のオーストラリア本土攻撃」奇襲機の残骸が物語る捕虜のリアル
いまから80年前の1942年2月19日、旧海軍空母部隊によるオーストラリア・ダーウィン空襲が実施されました。その歴史を今に伝えるため、空襲に参加した零戦の残骸が博物館に展示されています。
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戦艦「大和」、敵艦に“主砲撃て!” 日米初のレーダー砲撃戦、 結果は?
太平洋戦争で行われるようになったレーダーによる遠距離砲撃。一般的に旧日本軍のレーダーはアメリカ軍のものよりも劣っていたといわれますが、実際はどうだったのでしょうか。日米ともにレーダー射撃を行った海戦を見てみます。
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ミッドウェーは「艦載機の時程管理」がポイント? レーダーない旧海軍 “戦闘機頼みの防空”はやっぱり限界なワケ
太平洋戦争中、日本は敵機の接近を早期感知できるレーダーを実用化するのが遅れたこともあり、たびたび防空網を突破されていました。それは海軍の空母艦隊も同様で、艦隊防空の中心は零戦でしたが、その運用には様々な制約がありました。
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「他艦から燃料もらって帰ってこい」「陸軍機の着艦要求? 断固拒否」艦載機はツラいよ3選
太平洋戦争中、航空母艦が戦闘の主役となることが、多く見られました。ただそれに載せられた艦載機やそのパイロットらは、いろいろ苦労しています。
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「少しの大型空母」「たくさんの小型空母」どっちが有利? 旧海軍を苦しめた空母のサイズ問題
太平洋戦争で旧日本海軍は「飛龍」の設計を流用した雲龍型空母を多数建造しました。このタイプはいうなれば中型空母。小型空母でもなく大型空母でもない中型クラスの整備に舵を切った台所事情を探ります。
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「零戦」実はタイプ別に違う!? 二一型、三二型…「全部同じじゃないですか!?」よく見ろ!見分けるコツは
ミリタリーに限らず、乗りもの関連に興味を持つと、必ず悩みの種になるのが、同じ名前なのにバージョン違いがあること。零戦もその例にもれませんが、結構わかりやすい方かもしれません。