旧日本海軍の記事一覧
-
歴代戦艦「“主砲の威力”ランキング」ぶっ放したらどれだけスゴイ? 米艦をしのぐ1位とは
第2次世界大戦まで、戦艦は「主力艦」と言われ、保有国の海上兵力を象徴する存在でした。戦艦の存在意義とは、他の艦種を圧する攻撃力。つまり搭載砲の威力にあります。では、どの国の戦艦主砲が最も強力だったのでしょうか。
-
世界7大戦艦の一翼「陸奥」進水-1920.5.31 でも“ほぼ戦わず”して閉じた生涯
旧日本海軍の戦艦「陸奥」が1920年の今日、進水しました。全長220m超え、41cm連装主砲を装備するなど「大和」が登場するまで世界最大最強で、「世界のビッグ7」のひとつに数えられました。国民の人気も高かったといいます。
-
駆逐艦「冬月」竣工-1944.5.25 戦艦「大和」随伴で沖縄へ 奇跡の帰還ののち防波堤に!?
旧日本海軍の駆逐艦「冬月」が1944年の今日、竣工しました。特徴は高角砲や機銃を多く装備し対空火力を高めたこと。ただし沖縄への水上特攻作戦を除くと、戦闘の機会はほとんどありませんでした。
-
アメリカ本土へ行った船!? 空母「冲鷹」進水-1939.5.20 シーレーンを護衛せよ
旧日本海軍の航空母艦「冲鷹」が1939年の今日、貨客船「新田丸」として進水しました。つまり「冲鷹」は、竣工後に軍艦となった改造船です。とはいえ建造時から、戦時には空母化できるよう計画されていました。元民間船の運命を紹介します。
-
駆逐艦「島風」が高速を追求したワケ 竣工は1943.5.10、遅すぎたか…?
旧日本海軍の駆逐艦「島風」が1943年の今日、竣工しました。「島風」は“俊足”で知られますが、これは先代の「島風」が40.7ノットで航行したことにちなみ、速さを追求したから。2代目には、水雷戦隊としての戦闘が期待されました。
-
海上自衛隊唯一の「零戦」保存機に込められた”想い” 2機の残骸からの復元機 かつての特攻基地に
旧日本海軍の零式艦上戦闘機は、5年におよぶ量産の間に様々な型式が作られました。なかでも最も多く生産されたのが五二型です。このタイプは国内でもいくつか実物が見られますが、鹿屋市で展示されている1機はまた特別な機体です。
-
空母になっても大改造! 「赤城」進水-1925.4.22 海底では僚艦とともに眠る姿も
旧日本海軍の空母「赤城」が1925年の今日、進水しました。巡洋戦艦として建造されるも、後に改装され空母となった経緯を持ちます。その証拠が名称。ただ空母になった後も、艦載機の運用を巡り試行錯誤が続けられました。
-
-
読めたらスゴイ?「旧日本海軍の“難読艦”」今や使われない漢字も 戦前ならではの命名か
旧日本海軍は「旧国名」「山岳名」「河川名」「天象・地象名」など、様々な命名基準で艦艇の名前を付けていました。中には「何て読んだらいいの」という艦名も見られます。難読艦名と、その由来を紹介します。
-
日米「艦隊決戦」はあり得なかった? 真珠湾攻撃もドーリットル東京空襲も“そうするしかなかった”理由
太平洋戦争前、日米の両海軍はともに相手国を仮想敵とみなして、太平洋上で艦隊決戦を行うべく戦力を整えていました。もし日米艦隊決戦が起きたらどうなったのか。実は、当時の状況を鑑みると艦隊決戦など起きるはずなかった模様です。