東武はなぜ夜行列車を走らせるのか 100km台でも根強い需要 歴史は戦前から
昭和末で下火になった夜行列車 息を吹き返した「転機」
しかしモータリゼーションの進展により、東武の夜行列車も昭和50年代にはいったん下火になったといいます。その環境が一変したのが1986(昭和61)年、野岩鉄道が開業し会津方面への乗り入れが始まり、「尾瀬への近道」が形成されたことでした。
それまで、群馬県側の大清水や鳩待峠から尾瀬沼まで徒歩で5時間かかっていたところ、福島県側の沼山峠からであれば1時間ほどで尾瀬沼へ到達します。このため、会津高原尾瀬口駅まで夜行列車で、そこから連絡バスで沼山峠へハイカーを運ぶという、現在の「尾瀬夜行」ルートを開拓しました。
また当時は映画『私をスキーに連れてって』(1987年)に象徴されるスキーブームでもあり、福島県側のスキー場へスキーヤーを運ぶ冬季の夜行列車も活況。1995(平成7)年頃までは、夏の山岳夜行、冬のスキー夜行それぞれで、1シーズン1万人ほどの輸送人員があったといいます。
しかし、スキーブームの冷え込み、自動車の性能向上、道路整備の進展などにより夜行列車の利用者も徐々に減少。各地のJR線で運行されていた「登山夜行」「スキー夜行」も、次々に廃止されていきました。東武においても、現在の夜行列車の輸送人員は、1シーズンあたり2000人から3000人ほどだということです。
この間、夜行列車の車両も、普通列車でも使われる6050系(いわゆるボックス席主体)から、急行列車用の300系および350系、そして2018年からは新型特急「リバティ」用の500系とグレードアップしてきました。
また2016年には、秋の「日光夜行」が18年ぶりに運行を再開したほか、2018年には初めて、JR新宿駅発の東武日光行き夜行も運行するなど、近年は夜行列車の「テコ入れ」を図ってきているといいます。
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