東武はなぜ夜行列車を走らせるのか 100km台でも根強い需要 歴史は戦前から
日本でも数少なくなった夜行列車、それを私鉄で唯一、定期的に運行し続けているのが東武鉄道です。200kmに満たない短い距離の夜行列車ですが、レジャー利用の人々に愛されてきました。そして近年は「テコ入れ」を図るべく、新趣向も打ち出しています。
23時台から1時台のあいだに夜行列車10本! 最盛期の姿
昭和の時代には当たり前のように全国を走っていた夜行列車は、減少の一途をたどっています。2020年現在、毎日運行される列車は東京~高松・出雲市間の「サンライズ瀬戸・出雲」のみ。夏と冬、春に運行される東京~大垣(岐阜県)間の快速「ムーンライトながら」なども、シーズンを追うごとに運行期間が短くなっている傾向です。
そうしたなか、100km台という短い距離で夜行列車を運行し続けているのが東武鉄道です。東武線から野岩鉄道に乗り入れ、浅草~会津高原尾瀬口(福島県)間を走る夏季の「尾瀬夜行23:55」、冬季の「スノーパル23:55」や、紅葉シーズンなどには浅草~東武日光間の「日光夜行」も運行されています(ただし2019年秋は台風の影響で全回運休)。なお、それぞれの列車はグループ会社である東武トップツアーズの旅行商品という位置づけで運行されています。
運行距離は、「尾瀬夜行」が175.3km、「日光夜行」が135.5km。これほど短い距離で夜行列車を運行するのは、夏の登山、冬のスキーなどのレジャー需要に応えるためです。
「日光夜行」などは戦前から運行され、昭和30年代から40年代にかけての最盛期には、浅草駅から東武日光、鬼怒川公園、赤城(群馬県)などへ向かう夜行列車が、23時から1時のあいだに10本も発車したこともあったとか。夜行列車を待つ人の列が、当時、浅草駅の駅ビルを一周した、というくらい人気だったようです。
なお、いまでこそ東武における尾瀬の玄関口は福島県側の会津高原尾瀬口駅ですが、昔は群馬県側から入るのがメインルートだったそう。浅草から赤城経由、さらに上毛電鉄に乗り入れて中央前橋駅まで夜行列車で向かい、そこから連絡バスで尾瀬へ向かうといった商品も販売されたことがあるそうです。
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