二輪大国イタリア「オートバイで装甲車」作る 速さと小回り両立 廃れた理由はごもっとも?
第2次世界大戦中、イタリアでオートバイの操縦・走行装置を用いた4輪装甲車が誕生しました。画期的な車輪配置と高い機動性を持っており、実車まで製造されたものの、量産されずに終わったのは、もっともな理由でした。
オートバイから発想 摩訶不思議な4輪式装甲車とは
1930年代から1940年代前半にかけて、イタリア軍はいくつもの装輪装甲車を開発し第2次世界大戦で多用しました。その一環で、秘密裏に機動性重視の小型軽量な4輪装甲車の研究も進め、小回りを重視してベースにオートバイを用いた珍車も開発しています。一体どのような装甲車なのでしょう。
そもそも、イタリアで装輪装甲車が発達したのは、国内の道路網が整備されていたからです。そのためイタリアではオートバイの軍事使用自体が盛んで、他国でよく見られるようなサイドカー付き以外にも、後部に台車を取り付けた三輪オートバイが多用されており、車体に8mmブレダM37型重機関銃を搭載して対空機銃車を兼ねた武装強化タイプなども開発されました。
そこで、オートバイに似た操縦・走行装置を用いた新構造の装甲車を設計したのは、当然の成り行きだったのかもしれません。それは1930(昭和5)年にオッタヴィオ・フスカルド技士が取得した特殊4輪装甲車の特許に基づくものでした。
4輪式といっても、自動車や一般的な装輪装甲車が前後左右に、いわゆる長方形のようにタイヤを配置するのに対し、この特殊4輪装甲車はいうなれば菱形配置でした。前から1輪-2輪-1輪という車輪配置で、車体中央の2輪が駆動して前後の2輪で操縦する、まさに自動車とバイクを掛け合わせたような奇抜な方式だったのです。
この車輪配置のメリットは、通常の4輪車に比べて小回りが利き、急旋回を活かした機動が可能という点にあります。また車体がコンパクトにまとめられるため、のちに発展型として安価で軽便な2人乗り装甲偵察車の開発計画も立てられました。
しかし2人乗り装甲偵察車の構想は、同じく2人乗り装甲車として開発されたCV33型豆戦車が、1933(昭和8)年の採用後、数の上でイタリア軍戦車の中心となり、偵察車の任務も兼ねたため、中止になります。
速水螺旋人氏のインチキ(ほめ言葉として)戦記に東南アジア某国が日本から輸入したオート三輪を装甲化して格安装甲部隊を創設した作品があったのを思い出した。