二輪大国イタリア「オートバイで装甲車」作る 速さと小回り両立 廃れた理由はごもっとも?

大戦勃発で復活した特殊4輪装甲車の開発計画

 しかし1940(昭和15)年6月、イタリアが第2次世界大戦に参戦し、イギリス・フランス連合軍と戦ってみると、前出のCV33型豆戦車を始めとした一連の装軌式小型装甲車が、製造コストが高い割に装甲や武装が貧弱で中途半端な存在だと判明したのです。そこで、新たに安価な装輪式装甲車の開発が望まれました。

 10年を経て、再びフスカルド技士の4輪特殊装甲車案が評価されることになり、1941(昭和16)年9月には機械化中央研究所(CSM)で特殊4輪装甲車の開発がスタート。脚周りの設計を航空機メーカーのピアッジョ社2輪部門が担当し、同年12月には航空機メーカーのカプロニ社で試作車の製造が始まります。こうして翌1942(昭和17)年1月に試作1号車が完成、イタリア語でスズメバチを意味する「ヴェスパ」と名付けられました。

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後方から見た試作2号車「R.E.779B」。タイヤ径の変更に伴い、1号車に比べてタイヤハウスも大型化して半円形状となった(吉川和篤所蔵)。

「ヴェスパ」は全長3.9m、全幅2.0mと、いわゆる現代日本の軽自動車サイズであり、乗員は車体中央に左右横並びで2人乗ります。試作車のボディは、空気抵抗に配慮した未来的なデザインの多面体構造で、航空機製造を行なうカプロニ社の技術も活かして電気溶接を多用しているのも特徴でした。

 なお試作車は無武装でしたが、最大26mm厚の装甲板で被われており、ランチア社製自動車エンジン(82馬力)を装備し、路上で最高速度約80km/hを記録しています。

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1件のコメント

  1. 速水螺旋人氏のインチキ(ほめ言葉として)戦記に東南アジア某国が日本から輸入したオート三輪を装甲化して格安装甲部隊を創設した作品があったのを思い出した。