今思うとありえない…? 首都圏の鉄道「当時は当たり前だった風景」5選

今では当たり前の移動手段も、当たり前ではなかった

 現在は乗り換えなしで移動できる方法も、思い返せば昔は存在しなかった、そんな例もあります。

渋谷で止まっていた東急東横線

 東急東横線の渋谷駅はかつて地上2階にあり、線路が駅構内で途切れる、東武の浅草駅のような純然たるターミナル駅となっていました。当時の東横線は、15分間隔で手前の中目黒から日比谷線へ電車が乗り入れていく以外は、渋谷~桜木町間で運行されていました。

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地上時代の渋谷駅(画像:写真AC)。

 当時、横浜方面から東横線で新宿や池袋に向かう場合、必ず渋谷から山手線に乗り換える必要があり、ラッシュ時は渋谷駅で東急とJRとの乗り換えを行う大行列が見られました。2001(平成13)年に湘南新宿ラインが開業し、横浜駅から東京副都心へ直通する電車が走るようになると、東横線はJRに対して利便性で遅れをとるようになりました。

 大きく変化したのが、2013(平成25)年の東京メトロ副都心線との相互直通運転開始です。渋谷駅は2008(平成20)年開業の地下駅に切り替えられるとともに、副都心線および西武池袋線・東武東上線への乗り入れが基本となり、渋谷駅は単なる通過点にすぎなくなりました。

空港島まで行かなかった京急空港線

 1956(昭和31)年、京急穴守線(現:空港線)に「羽田空港駅」が開業しました。しかしこの羽田空港駅は名ばかりで、いわゆる空港島の手前、海老取川の西側にある小さなターミナル駅にすぎませんでした。空港ターミナルへのアクセスも悪く、1964(昭和39)年の東京モノレール開業後はほとんどアクセス鉄道の意味を成していない状態でした。

 1993(平成5)年に現在の天空橋駅が「羽田駅」として開業し、東京モノレールとの乗り換えが可能になりました。そして1998(平成10)年、現在の羽田空港第1・第二ターミナル駅まで延伸開業を達成し、40年近い月日を経て、京急空港線はようやく羽田空港へ直接アクセスする路線へ昇格したのです。

【路線図】空港の手前で終点だった「羽田空港駅」

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コメント

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11件のコメント

  1. 上野東京ラインは東北新幹線工事が始まる前までは繋がってたんだが。
    東京~上野が分断されていたのは1975~2015の40年間であって、それを「古き良き」っていうのは
    違和感があるな。
    ま、ライター若いから知らんのだろうけど。

  2. 今でも似たようなケースは沢山残ってるけどな。
    府中本町で接続してるのに環状線にならない武蔵野線と、南武線とか。

  3. 上野発着が基本の列車群の一部が東京駅だったり
    常磐快速の乗り入れがあったり
    品川駅臨時ホーム発の多客臨があったり
    湘南日光なんていう観光目的の列車があったり…
    新幹線工事絡みで列車線が切られるまでは、それなりにあったのだがなぁ…

  4. 東横線渋谷駅の今の方が、却って「ありえない(くらい不便で使いたくないし、北の方からやってくる車両もダサいし)」と思う。

  5. > 1992年撮影、地上時代の小田急小田原線経堂駅。こじんまりした駅施設に、留置線も見える。牧歌的な風景。

    経堂駅は「こじんまり」でもないし、1992年では「牧歌的」とは言えないように思う。

  6. 東急渋谷駅の階段は、風情があった。 地下鉄直通は便利だとは思うが、東横線は澁谷終点で良かったように思う。 都心直通・相模鉄道直通は、目黒線(昔は目蒲線)に任せて。

  7. 振り返るにはあと5年早い気がする記事

  8. 東横線の渋谷は潜って横浜はかなり深くなった。下北沢の乗り換えは別の経路を考慮したいほど不便になった。井の頭線から銀座線も遠くなった。京浜東北から中央快速へは東京でなく神田で乗り換えてる。下り東海道は東京では座れないので東北新幹線を大宮で降りて横浜方面への列車で空席にありついている。

  9. 最近では理解し辛くなってそうだが、1つの典型例としては駅の巨大化なんかがもっと共感を呼び易いんじゃないかな。
    幾らバリアフリー化しても、総移動距離が飛躍的に遠くなったのは退化だわさ。

  10. 実家が井の頭線沿線で、平成前半に結婚するまで20年以上住んでいました。渋谷駅は二十数年前にマークシティが出来た頃から少しずつ、特にこの10年ぐらいで大きく変わりました。下北沢駅も同様。井の頭線の渋谷駅はマークシティが出来て駅が神泉駅寄りに移ったのに対し、他の路線は都心寄りか地下深くに移ってまるで井の頭線ユーザーを無視しているかのような不便な位置関係になりました。実家に住んでいた頃、特に小学生の頃は習い事や塾通いに東横線を使っていましたが、結婚後はまだ副都心線ができる前に横浜から当時住んでいた川越まで帰る時に乗ったぐらい。2015年に実家の母と渋谷駅で待ち合わせして都立大学駅近くのパーシモンホールに行った時、駅が物凄く遠く感じました。

  11. 東京モノレールから開業当初、眼下に大井埋め立て前の海苔の養殖風景が見えたり、
    根岸線の関内より先の延これまた長区間開業時で、海?運河?に近いトコを走っていた、なんてのが
    有ったらしい、ですね。