軍用車なのに中身スポーツカー! アルファロメオ版ジープなぜできた 早期に生産終了

スポーツカーのDNAを軍用車に注入

 軍の依頼に対するアルファロメオの試作車は、1951(昭和26)年に発表されます。「1900」の設計を流用していたため、イタリア語で「軍用」を意味する「Militare」の頭文字を付けて「1900M」と命名されました。

「1900M」は、一見するとアメリカ製の「ジープ」によく似ていました。しかし「1900」と同じエンジンを搭載し、前輪も同じ独立懸架式のため、中身はまったくの別物です。「ジープ」が戦前設計のサイドバルブエンジンを搭載し、サスペンションもトラックと同じ板バネであったことと比べると、「1900M」ははるかに現代の乗用車に近い作りといえるでしょう。

 こうして「1900M」は1952(昭和27)年から量産が開始されます。ところが、凝った作りが影響したようで、わずか2年ほどで生産終了となります。民間仕様の154台を含め2100台程度が作られたそうですが、その後アルファロメオが軍用車両に関わることはありませんでした。

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1956年5月、スロベニア第二の都市マリボルで撮影されたアルファロメオ「1900M」。

 なお、アルファロメオ「1900M」と並行して開発されていたフィアットの「カンパニョーラ」は、「1900M」と同時期にイタリア軍に採用されました。こちらも市販乗用車の部品を流用していたものの、より堅実な設計を採用していたことで価格が安く、整備もしやすかったことが幸いして1973(昭和48)年まで生産され続け、民間仕様車も売れ行きが好調でした。

 ちなみに、アルファロメオ「1900M」は、イタリアの公道自動車レース「ミッレミリア」にも参加したことがあります。エントリーしたのは1952(昭和27)年の軍用車部門で、アントニオ・コスタ中尉とフランチェスコ・ヴェルガ准尉が組んで出走、クラス優勝を果たしています。

 軍用車部門ではあるものの、「ミッレミリア」で優勝するなんて、「羊の皮を被った狼」ならぬ「軍用車の皮を被ったスポーツカー」だった証左といえるのかもしれません。

【了】

【写真】「1900M」の原型 レースに勝つファミリーカー「1900」

Writer: 柘植優介(乗りものライター)

子供のころから乗り物全般が好きで、車やバイクはもちろんのこと、鉄道や船、飛行機、はたまたロケットにいたるまですべてを愛す。とうぜんミリタリーも大好き。一時は自転車やランニングシューズにもはまっていた。

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