三陸の鉄道「早々バスに」「8年かけ鉄道で復旧」なぜ分かれた? それぞれの軌跡と課題

壊滅的な被害から「バスで仮復旧」→「鉄道廃止」

 その後、さまざまな交通機関は徐々に復旧していきますが、沿岸部を縦貫していた三陸鉄道とJRの各路線は、復旧にそれぞれ数年を要します。そのなかで、線路敷を専用道に転換して高速走行するバス「BRT」として復旧した区間と、時間をかけ鉄道で復旧した区間が分かれました。

BRTで復旧した気仙沼線・大船渡線

 JR気仙沼線および大船渡線の被災区間は、線路や駅設備のみならず街そのものが津波に飲まれてしまいました。建設の年代が比較的新しかった気仙沼線 本吉~柳津間の高架も、海沿いの区間が多かったこともあり、津波と揺れに耐えることができませんでした。平野部では震災後もしばらく橋が橋脚近くまで冠水していた場所もあり、JR東日本も鉄道で復旧させる場合は「路線そのものの高台移転」を提言するなど、早期に鉄道としての復旧を見出せる状況になかったのです。

 このため、JR東日本が提案した「BRT方式での仮復旧」に沿線が合意し、2012(平成24)年から順次、BRTの運行が開始されました。

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BRT車両のひとつ。震災後に川崎市営バスから転属したもの。(2012年、宮武和多哉撮影)。

 BRTは、復興の過程で市街地や生活拠点が点々と変わってきた宮城県南三陸町や岩手県陸前高田市などにおいて、バスの利点を最大限に生かし、柔軟にルートを変更してきました。また、駅と市街地がもともと離れていた宮城県気仙沼市内も、「専用道+一般道」の走行によって、鉄道から離れていた港湾地域や市立病院などもカバーしています。2020年には、気仙沼線の平日朝の1本を鹿折唐桑駅(市街地北側の住宅街)始発とするなど、新たな試みも行われています。

「仮復旧」の位置づけだったBRTはこうして地域に定着し、JR東日本は2020年4月に気仙沼線 柳津駅~気仙沼駅間、および大船渡線 気仙沼~盛間の鉄道事業を廃止しています。

【写真】再出発を果たした各駅の風景

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コメント

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2件のコメント

  1. 無知だとしかいいようがない。元々三鉄の実績は伸び悩んでいたし、料金が低いJRの実績が変わらないのは当たり前。鉄道とBRT以外の要素を含めないでこの記事を書いているように見える。道路の接続を考えると所要時間は課題ってほどではないし、三鉄も経営辞めるとは言えない状況。交通課題を論じるなら様々な要素を含めてください。

  2. 大船渡線BRTは鉄道と違うルートになり、上鹿折が切り捨てられてしまった。鉄道沿いに走らせられなかったのだろうか。