装備は鉄槍! こん棒! 敗北寸前イギリスもやってた「槍で爆撃機を撃ち落とせ」の実態
「弓と矢、投石器の配備はいつごろになりますか?」
かくしてイギリスは、ドイツの爆撃機が頭上を飛んでいたにも関わらず1941(昭和16)年中までに約100万kgもの貴重な鉄資源を消費し、約25万本ものパイクを完成させました。主導者の名前をとって「クロフトのパイク」と呼ばれたそれは、当然、現場での評判は最低でした。1942(昭和17)年のイギリス議会 議事録には、ホームガード志願者の言葉として以下のようなものが残されています。
「弓と矢、投石器(スリング)の配備はいつごろになりますか?」
イギリスにおいてはこの「パイクマインド(槍精神)」について、ふたつの受け止め方があるようです。ひとつは「国の決定は自殺的な戦術を強い非合理的であった」という考え方。そしてもうひとつは「イギリス国民は絶対に降伏しないという意志をドイツのヒトラーに示し諦めさせたことが重要であった」という考え方です。
イギリスにとって幸運だったのは、海軍と空軍は健在であり、ドイツにはこれらの抵抗を排除しイギリス本土へ上陸するほどの力はなかったということです。しかしそれは結果論です。1940年末の時点でイギリスを中心とする連合国は、約500万トンもの輸送船を潜水艦や爆撃機の攻撃によって失っており、本土ではほとんど資源を算出せず海軍や空軍のための燃料も海外領土やアメリカに頼っていたイギリスは、まさに戦争末期の日本と同じように危機的な状況にありました。
日本とイギリスは大戦の勝者と敗者という違いこそあれど、切羽詰まった島国が選択した最後の手段が同じ槍であったという事実は、あの時代においての当然の帰結であったといえるのかもしれません。
逆をいえば、現代や未来においても、竹槍精神は姿かたちをかえていつでも再現しうるともいえます。「溺れる者は槍をも掴む」のですから。
【了】
Writer: 関 賢太郎(航空軍事評論家)
1981年生まれ。航空軍事記者、写真家。航空専門誌などにて活躍中であると同時に世界の航空事情を取材し、自身のウェブサイト「MASDF」(http://www.masdf.com/)でその成果を発表している。著書に『JASDF F-2』など10冊以上。
根性論が目立ち始めたら、終わり。須らく。
「弓と矢、投石器(スリング)の配備はいつごろになりますか?」
なかなかイギリス人らしいウイットに富んだ発言だな。
日本人なら「無い無いと言うな。」と言って、無ければ自分で竹やりでも作れと言う所だろうが、向こうにしてみれば、”それすら製造できなくて戦争に勝てる?”と政府のケツを蹴ってると言う所だろう。
面白い記事だった。'日本とイギリスは大戦の勝者と敗者という違いこそあれど、切羽詰まった島国が選択した最後の手段が同じ槍であったという事実'という部分は、なんか深いなと…。
祖母が疎開先から戻ってきたら自宅の庭の「防空壕」は崩れていたそうだ。空襲の直撃は免れているが振動の影響か何かの破片でも飛んできたのか。
風船爆弾が「成功」した例は既出ですか。北米でボーイスカウトがピクニックくしていてやられたんですっけ?これも彼我の差ですよ。