クラスター発生で乗員壊滅 旧海軍艦が残した教訓 致死率16%に達した艦内で何が

第1次世界大戦の終盤から世界的に流行した、死に至る病「スペインかぜ」は、旧日本海軍の軍艦においても感染が広がりました。閉鎖された空間での感染爆発がいかに恐ろしいものであるか、その教訓をいまに伝えています。

第1次世界大戦のさなか人類に襲い掛かった「スペインかぜ」

 2021年5月現在、新型コロナウイルスの感染拡大は、終息する気配がありません。国内の新型コロナでの死者数が1万人を超えるなか、日本政府や厚生労働省などは、「密閉空間」「密集場所」「密接場面」のいわゆる「3密」条件が、感染拡大のリスクが高いとしています。

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進水後、航行試験中の防護巡洋艦「矢矧」。武装などがまだない状態(画像:アメリカ海軍)。

 いまから100年以上前の第1次世界大戦中、まさしく「3密」に当てはまるような、軍艦内においてクラスターを起こした事例が日本にあります。それは旧日本海軍の軍艦、初代「矢矧(やはぎ)」におけるスペインかぜ(スペインインフルエンザ)の集団感染でした。

「スペインかぜ」の起源や蔓延の経緯には諸説ありますが、第1次世界大戦末期の1918(大正7)年春ごろにはヨーロッパで流行し、同年秋には世界中に蔓延、そして1921(大正10)年ごろまで各地で猛威を振るったといわれています。

 日本でも1918(大正7)年10月に大流行が始まりましたが、「矢矧」は日本で感染したわけではありません。「矢矧」でクラスターが発生したのは、作戦行動中の外洋においてだったのです。

「矢矧」は第1次世界大戦が勃発する前の1911(明治44)年10月3日に、筑摩型防護巡洋艦の2番艦として進水、翌年の1912(明治45)年7月27日に就役しました。

【写真】公会堂にベッドが並ぶ スペインかぜ大流行時のアメリカ

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2件のコメント

  1. 横浜からの豪華客船に発症者がいて引き返したというニュースを聞いて家中で驚いた。自主的な判断なのか、もう運航してよくなっていたとは。そして乗客がある程度いたことに二度びっくり。まさか乗船前に2週間隔離されるわけにもいかない。時期尚早だった?

  2. この記事は昨年読んだ記憶が有りますが、
    私の勘違いなのか、内容を追記更新ですかね?