さよなら最後の「元JAS」機 消えた三大航空会社の一翼 どう成長しJALへ統合されたのか

JASへの社名変更は悲願達成のため その後は?

 同年に、先述の「45・47体制」が改められ、路線免許制など課題が残るものの、航空ネットワークを構築する自由度が大きく増したのです。航空需要の予想外の伸びを受けた措置でした。

 そこからTDAは、念願の国際線就航に向け準備を進めます。TDAでは、A300の航続距離延長タイプ「A300B4」を導入、これを国際線機材としたほか、「東亜」国内」航空の社名も、国際線展開にそぐわない可能性もあることから、1988(昭和63)年にJAS(日本エアシステム)へと社名を変更し、同社初の国際線定期便、成田~ソウル線を就航させます。この路線にもエアバスA300を使用しました。

 その後JASはハワイ線の開設を目指しますが、双発機に設定されている洋上飛行制限(ETOPS)に抵触してしまうA300では、旅客便を飛ばすことができなかったため、制限のない3発機のダグラスDC-10を2機導入。こちらを中長距離路線へ投入します。念願のホノルル線は1991(平成3)年に開設されました。

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2021年3月に退役が決定したJALの「JA009D」。元JASの「レインボーセブン」(乗りものニュース編集部撮影)。

 JASの国際線進出後は、そのユニークなサービスにも磨きがかかりました。1996(平成8)年には、国内航空会社で初めて女性用化粧室を設置。1997(平成9)年には、JALやANAでも次世代主力機となっていたボーイング777-200を導入し、2クラス制(スーパーシートと普通席、など)が一般的だった国内線用仕様機で初めて3クラス制とします。また、全席機内モニターを備えるなどの取り組みも実施しました。

 国際線進出でイケイケムードに見えたJASでしたが、実は、もともと膨大な国内線ネットワークを抱えているなかで採算が取れない地方路線も多くありました。とどめを刺したのは、2001(平成13)年のアメリカ同時多発テロによる旅客数の激減で、これにより経営が立ち行かなくなってしまいます。

 そのようななか、JALから合併の話が出ます。これは、路線ネットワーク拡充を目指していたJALが、JASの豊富なネットワークに目をつけたもの、という説がもっとも広く知られている見解です。

 そういえば、JALから2021年3月に全機退役となったボーイング777-200には、元JASの「レインボーセブン」が含まれています。利用者にとって「JAS最大の功績」ともいえる国内線独自クラスの「クラスJ」はいまだに健在ですが、元JAS機に乗れなくなってしまうのは、時代の流れを感じます。

【了】

【懐かしい】JALへ渡ったB777「レインボーセブン」のJAS時代

Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)

成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。

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コメント

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2件のコメント

  1. JASがJALに売却されるまで、親会社東急電鉄(当時)の不振やらで「航空会社買っちゃわない?」とJR西日本に買収打診があったりと色々あったなぁと。
    宝塚線列車事故がなければJR西日本がJAS買っちゃってたかもしれん…(JR西日本にはJR四国やら色々なところから買収打診話が出て、結局出来たのが日本旅行だけ)。

  2. レインボー777は羽田-福岡線、羽田-札幌線で愛用してたな。
    全席標準モニターで流される番組も独自企画があったり、流行りの曲のMVが流れたりと良かった。
    今、JALのJシートに残っているレインボーシートもよく使った。
    JASからJALに行った人はJALの倒産にも遭遇したりして、多難だっただろうと。