160万都市近郊から消えた「国鉄勝田線」残っていれば大化けした? 背景に路線バス
「西鉄バスが何とかしてくれる」?
もともと勝田線は1918(大正7)年、後述する西鉄の前身のひとつである私鉄「筑前参宮鉄道」の路線として開業しましたが、その沿線では戦前から同社によって路線バス事業が展開されていました。合併によってエリアを引き継いだ西鉄バスは、1964(昭和39)年と早い段階で大規模な営業所を宇美に開設するなど、勝田線の斜陽化が進む前からこの地域に力を入れていたと言えるでしょう。
旧勝田線沿線の志免・宇美から天神を結ぶ「34番」は、吉塚駅東口~勝田・原田橋間がおおむね鉄道に近いルートを走行し、勝田線が廃止される前から1時間3~5本のバスが設定されていました。現在ではさらにほかの系統や、福岡都市高速道路を経由する快速便もあり、バスがおもに経由する県道68号線(福岡太宰府線)では朝方には1時間10本以上のバスが天神や博多駅方面に運行されているため、大きく待たされることはほぼありません。
現役当時の勝田線を振り返ると、1964(昭和39)年に炭鉱の閉鎖と国鉄の赤字転落が重なったこともあり、旅客輸送は運転本数、サービス面ともに大きく改善されないままでした。博多駅への乗り入れも早々に消滅し、廃止が取り沙汰されはじめた頃には、キハ58などのディーゼルカーが1日6~7往復ほど行き交う状況が続いていたのです。かたや勝田線の廃止が勧告される頃の西鉄バスは、「旅客が動く方向にとりあえずバスを開業させる」というほど勢いのある機動力を見せており、すでに県内各方面で鉄道に匹敵するサービスを展開していました。
自治体が鉄道廃止に反対しなかったのも、福岡市内の他地域の状況を見たうえで「西鉄バスなら今後も積極的に運営してくれるだろう」という判断に至ったのかもしれません。
CO2、公害、交通事故、渋滞、人材難に目をつぶれば、バスで間に合わせることができる輸送量だということですね。鉄道路線があることによる需要の誘引効果を差し引いても。
「起点の吉塚駅はJR博多駅の北隣で、繁華街の天神エリアまでも2km強という距離です。勝田線の廃止が検討されている時期にも吉塚駅の近隣に福岡県庁が移転(1981年)したうえ…」という時点で、この筆者は福岡のことを何もわかってないと思った。天神から吉塚まで2km、といっても結構な距離で、路面電車なき今、乗り換えなしで行くにはバスしかない。また県庁が吉塚にあって、あたかも一大ビジネス街みたいに書いている節があるけど、県庁以外は住宅地で、かつ福岡空港のほぼ隣なのでビジネス街としての開発もできない(むしろ広い土地が欲しかった県庁だからこそ移転できたところはある)。
志免や宇美の人口が増えたのは、炭鉱が住宅地になり、そこに西鉄が天神までのバスを走らせ、それに加えて地下鉄が福岡空港まで開通したから。筑肥線の博多-姪浜を廃止して、地下鉄と相互乗り入れをしたように(この筆者はそれを知らないのかな?)勝田線も一部を廃止して地下鉄と相互乗り入れをしたら状況は違っていただろうけど、戦前の鉄道計画を元に話されても、何の話?としか思えない。
偶然この記事を見つけて読みました。貴見にほぼ賛同します。大都市近郊路線で廃止される場合の理由は道路事情とターミナルの位置です。鉄道線敷設後のモータリゼーションと道路整備で平面交差(踏切)が交通障害となり、廃止がむしろ望まれた例なら同じ福岡県内の香月線が例に挙げられ、ターミナル駅の位置問題であれば、札幌市の定山渓電鉄が挙げられると思います。