「大垣夜行」を知っているか?「ムーンライトながら」前身 直角シート 駅で長時間待ち
青春18きっぷ愛好者におなじみの夜行快速「ムーンライトながら」。その前身は「大垣夜行」と呼ばれた全車自由席の普通列車でした。165系、373系、185系と使用車両が変わるなか、筆者の「大垣夜行」初乗車から35年間を振り返ります。
青春18きっぷを最大限に利用すべく、カギとなった戸塚駅
今年も「青春18きっぷ」の冬シーズンがやってきました。青春18きっぷといえば「ムーンライトながら」。東京駅と大垣駅(岐阜県大垣市)を結ぶ夜行快速列車です。青春18きっぷ利用者にとって、遠方に行く時の定番といえます。また、近年はコミックマーケットなどのイベントに行く人の節約旅行手段としても注目されています。
年配の鉄道ファンは「ムーンライトながらって、昔は大垣夜行だったよね」「グリーン車に乗りたかったな」「自由席だから東京駅へ早く行って並んだよね」などと言います。「大垣夜行」とは、どんな列車だったでしょうか。筆者(杉山淳一:鉄道ライター)の思い出ともに振り返ります。
東京から大阪へ、あるいはその先へ向かう普通列車は、東海道新幹線開業前まではたくさんあったそうです。大垣夜行は東海道本線の夜行普通列車の生き残りです。この列車が注目されはじめたきっかけは、1982(昭和57)年に発売された「青春18のびのびきっぷ」でした。現在の青春18きっぷの原型です。このとき、「日付が変わる戸塚までのきっぷを買って大垣夜行に乗れば、1日分のきっぷを0時過ぎから使い始めておトク」というワザが、鉄道趣味誌などで紹介されました。
当時、青春18きっぷは冊子タイプで1日有効券4枚と2日有効1枚の5枚綴りでした。1日券は0時から終電まで有効、2日券は0時から翌日の終電まで有効でした。東京駅から大垣駅まで乗る場合は日付をまたぐので、1日有効券2枚または2日有効券1枚必要です。しかし、大垣夜行は東京23時25分発で、日付が変わる駅は0時5分発の戸塚(横浜市戸塚区)でしたから、東京駅から戸塚駅まで490円(当時)のきっぷを買って、青春18きっぷは戸塚駅から使えば、最大限の時間で利用できるわけです。
2ドアと最終間際の混雑で乗降に手間取って延着してたのを思い出すな~
これに先立って出発する臨時列車も華やかでナハネ20の臨時あさかぜ、EF58牽引の客車座席指定の臨時銀河やら
私は大垣行から乗り継いで尾道まで行ったが大半が湘南色の115系やら113系で瀬戸内際を走る湘南電車が異次元空間に思えたものだったな~
グリーン車の無い短編成や東京では去りつつあった大型ライトの113系とかね
最初に大垣夜行に乗ったのは中3の一人旅の時だったから70年代ですが、単に東京〜(目的地の)名古屋まで「乗換なし」乗車運賃3500円のみで行ける列車というだけで選んだもので特に大垣夜行とかを意識していたわけじゃなかった気がします。
普通に東京駅へ行ってホームの列に並んで…すごく混んでて座れなかったけれど・・・
座席あぶれ組数人でデッキに新聞紙を敷いて向かい合わせで足伸ばして座って名古屋まで移動した思い出があります。自分はその中での最年少でしたが、周りの大人たちは妙に旅慣れた方々だなって思いました。
大垣夜行は大人になって出張時にも何度か利用しましたが165系の記憶しかありません。
その後の大垣夜行と言うか、ながらは乗っていないなあ。
大垣夜行時代小田原までの終電1本前、小田原から熱海三島への終電で、飲んだ帰りによく乗りました。
寝過ごさないようにデッキで立っていましたが、一度座り込んで小田原の発車ブザーで目が覚め事なきを得ました。
…うちの先輩は寝過ごし愛知県まで流されたと聞きました。
数回しか乗ってないけど、
165系時代が懐かしい。
なんでか覚えてるのが、
ある時の品川駅。
なかなか発車しないと思ったら窓ガラスが割れたとかで。
どう対処したのか解らないけど、
そのまま走っていった記憶が。
その大垣夜行も全席指定と引っ越した関係で、
185系になってからは一度も乗ったことないですが…
今のダイヤだと時間と金の無駄が。
端から数千円出して新幹線になってしまいました。
165系大垣行き=普通運賃で乗れる急行型
115系かいじ=急行券が必要な近郊型
フツーに残業やら飲み会で遅くなった時に東京駅から乗ってました。
最初にこの電車に乗った時には普段の通勤列車と異なる雰囲気に、
銀河鉄道に紛れ込んだかのような錯覚を覚えて、本当にこれ乗って
大丈夫か?と不安にかられたのを思い出す。
一度は、ボックス席を占拠していた〇〇〇っぽい連中がツェェ自慢
しながらワンカップと冷ややっこで酒盛りしはじめたのには参った。
車掌も注意できず。
この列車に最後に乗ったのは就職で名古屋勤務になってから関東へ
リクルートで来て帰りの新幹線に乗れなかった時。
大垣行き乗れば朝までには名古屋に戻れる・・・ってな理由で本当
に夜行をフル活用したのが最後だった。
岐阜の人間です。大垣夜行に乗ってみたいと思いつつ、なかなか東京に行く機会がなかったのですが、友人の結婚式や出張で使う機会を得、ムーンライトながら(373系)はよく使いました。
岐阜駅発23:35でしたが、たまに静岡まで立って行ったこともあります。しんどかったですね。でも座席はとても快適でしたので、ありがたかったです。
夜行といえば、大阪発長野行き急行ちくまもよく利用しました。もう今はありませんが、夜明け前の塩尻駅で新宿からの急行アルプスと並んでの停車は賑やかっだのを覚えています。
大垣夜行は学生時代に「京阪神ミニ周遊券」や「東京ミニ周遊券」を使い何度も利用した。
長距離の普通列車なので学生ながら奮発してグリーン車を利用していた。
その後にだいぶ経過してから、ムーンライトながらになって初めて乗車した時、
小田原からの自由席車両だったので、通路も大混雑でトイレにも行けなかったのを思い出す。
現在は全区間指定席なので、あれ程には混雑しないと思うが、腰を悪くしたので利用することも無いだろうなぁ。
大垣夜行は高校生の時、四国乗り鉄旅で往復乗りました。往復G車で。
入線2時間前に東京駅に行きましたが、すでに先客が居ました。
上り便は豊橋から乗りましたがガラガラでした。
ながら(373系)は2007年に一度きりしか乗っていません。
もうオッサンの自分が「ながら」のユーザー層では無いと悟りました。
今の岩石リクライニングシートの電車より、昔のふわふわ直角シートのほうがまだ腰が痛くならなかった気がする。
同感。
中学、高校の春と夏休みに165系時代の375Mをよく利用して関西方面に友達と撮影旅行した記憶が懐かしい。
当方、川崎に住んでた時、帰省で東京朝6時発の東北新幹線盛岡行に乗るために、川崎駅から乗った事あるが、当然座る事できなかった。今思えば、「大垣夜行」から、東京駅で、東北・上越新幹線の始発を利用した人もいたかもしれないと思った。
大垣夜行と言えば、やはり165系。僕が知っているのは急行東海の折り返し運用で、当時はグリーン車が
2輛連結されていました。夜行列車に乗るのも数時間前から並ぶのは当たり前。今では考えられない楽しみが
ありました。懐かしいなぁ~
80年代後半、自転車のツーリングサークルに所属していた大学時代に東海や中部地方に輪行して行く際に使ってました。 自分達は発車時刻の2325(ニーサンニーゴー)と呼んでいた気がします。 (「大垣夜行」と一般的に呼ばれるようになったのはその後かも?) 同様に新宿23:55発長野行の夜行の普通列車もあり、こちらの方が良く利用していました。 こちらもやはり出発時刻の2355(ニーサンゴーゴー)と呼んでおりアルプス広場で仲間と待ち合わせしていました。 こちらは山屋さん(登山客)が多く、我々も山屋さんも荷物が多いので帰宅で利用する方々にはさぞかしご迷惑だった事と思います。 ってっ単なるオッサンの想い出話になってしまいましたね! すみません。
いつも、下りは小田原から、上りは三島からホームレスが乗り込んで来て、特に冬場は大量に。
走るスラム街なのは不快だった。
もちろん、無賃乗車。
けど、車掌は見て見ぬ振り。
ホームレス・ライナーと揶揄されてた。
大阪夜行から短縮された43-10から57-11までは153系でした。また、誕生直後は「美濃赤坂夜行」でした。
ああ,なつかしいですね.コロナで移動もままならない中ですが,
18きっぷ片手に日本中を旅していた学生時代を思い出してしまいました.
165系電車は国鉄時代の代表ですね!
大垣夜行どころかC-62牽引の大阪行き最終137列車の時代を知っているよ。