【空から撮った鉄道】上空からでも鮮やかに目立つイエローの西武電車
中央線より北側を空撮していると、よく西武鉄道の鮮やかな黄色い電車が視界に入ってきます。この10数年間で出会い撮影してきた、西武鉄道を紹介します。
この記事の目次
・複雑だと感じるのは小平市周辺の路線網
・黄色い電車は上空からも鮮やかに目立つ
・西武鉄道で一番撮影しているのは多摩川線
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複雑だと感じるのは小平市周辺の路線網
東京西部に路線網をのばす西武鉄道は、西武新宿~所沢~本川越間の新宿線と、池袋~所沢~吾野間の池袋線と、2路線の本線系統があり、それぞれJR山手線より西へ線路が延びています。
支線は少々複雑です。まず新宿線には拝島線(小平~萩山~拝島)、西武園線(東村山~西武園)、国分寺線(東村山~国分寺)が接続しています。池袋線には西武秩父線(吾野~西武秩父)、西武有楽町線(練馬~小竹向原)、豊島線(練馬~豊島園)、狭山線(西所沢~西武球場前)が接続します。
その他は、多摩湖線(国分寺~萩山~多摩湖)、新交通システムの山口線(多摩湖~西武球場前)、離小島のようにどの路線とも接続せず、JR中央線武蔵境駅と接続する多摩川線(武蔵境~是政)があり、とくに小平市や東村山市といった東京都西側のエリアで、複雑な路線網を形成しています。
複雑だなと感じるのは、拝島線、国分寺線、多摩湖線が離合する小平市周辺です。地図を見ると、新宿線小平駅から西へ分岐する拝島線が、同じく西進する多摩湖線と萩山駅で接続します。さらに西側は、拝島線がいったん南へ進路を変え、小川駅で南北を縦断する国分寺線と接続。拝島へ向けて再び西進します。国分寺線は北進し、多摩湖線と十字で交差するも接続駅はなく、まるで別路線のように交差しています。
なぜこうなっているかというと、国分寺線と多摩湖線は戦前まで辿ると別会社でした。もともと、国分寺線は新宿線とともに川越鉄道→(旧)西武鉄道、多摩湖線は池袋線とともに武蔵野鉄道という前身だったのです。新生の西武鉄道として合併したのは終戦直後の1945(昭和20)年9月のことです。余談ですが、このときの合併では前述の鉄道会社2社のほか、戦時中の食糧増産を目的とした「食糧増産株式会社」も加わった3社合併だったため、社名は西武農業鉄道でした。後に社名変更をして、現在の西武鉄道となります。
さて、私が西武鉄道に訪れたのは、小学校時代に鉄道仲間とショートトリップをするようになってからです。ぎりぎり、朱色とベージュのツートンカラーの“赤電”と呼ばれた、吊り掛け式の351系に乗れました。その351系が走っていた多摩湖線を含め、複雑な路線網になかなか慣れず、同じ鉄道会社なのに、新宿線系統と池袋線系統とがあって、どこか別会社のような雰囲気がしていました。その感覚も、西武鉄道の歴史を遡ると合点です。
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Writer: 吉永陽一(写真作家)
1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。