【空から撮った鉄道】ある日の横須賀駅周辺の光景 初寄港の「クイーン・エリザベス」と京急、横須賀線

横須賀港は海上自衛隊と在日米海軍の拠点となっており、基地のすぐ近くにはJR横須賀線と京浜急行(京急)の駅があります。基地の飛行自粛空域外から、ある日の光景を空撮しました。英国の王立海軍空母「クイーン・エリザベス」が初めて寄港したときです。

この記事の目次

・横須賀線は軍の要請で建設された路線
・横須賀上空は飛行自粛区域あり
・京急との撮影は望遠レンズを駆使する

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横須賀線は軍の要請で建設された路線

 横須賀は江戸末期に造船所が誕生し、明治時代に鎮守府が置かれて日本海軍の拠点となました。港と沿岸部はありとあらゆる海軍施設があって、「軍都」と呼ばれていました。

 戦後は在日米軍横須賀基地と海上自衛隊の拠点となっており、とくに米海軍横須賀基地は第7艦隊のイージス艦や空母の事実上の母港となっています。よって現在も軍都の雰囲気は変わりません。ただ、一般の人が立ち入りできる場所は撮影でき、遊覧船の軍港巡りもあり、タワーマンションも建っていて、基地の様子は見えます。

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画面左が横須賀駅。線路沿いにはマンションが立ち並ぶ。画面右の逸見岸壁に停泊しているのがオランダのフリゲート艦「エファーツェン」(2021年9月7日、吉永陽一撮影)。

 軍都横須賀の歴史や海軍のことを述べると、それだけで連載になりそうなので割愛して、鉄道と基地の光景を紹介しましょう。横須賀にはJR横須賀線と京浜急行(京急)、2路線の鉄道が都心部から伸びています。

 横須賀線は、鎮守府が置かれて鉄道輸送の重要性が高まったため、軍部の要請により建設が進められた路線で、1889(明治22)年に大船~横須賀間が開通しました。開通後は陸軍の観音崎砲台や横須賀の軍港の輸送を担い、陸海軍のために生まれてきた路線でした。

 終点の横須賀駅は市街地の手前に設置されました。これは市街地が狭隘で用地取得などの諸経費がかかりすぎるため、軍部の了承のうえ手前になったとのことです。横須賀から先の久里浜まで延伸したのは戦時中の1944(昭和19)年のこと。物資も乏しい戦争末期に突貫工事で延伸開通したのは、戦時体制によって海軍施設が拡大していき、久里浜に軍施設が集中していたためでした。横須賀線は海軍にとって必要不可欠な路線だったのです。

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横須賀駅を手前にした「エファーツェン」と横須賀の軍港周辺。画面右上に空母「クイーン・エリザベス」が見える。その奥で水を張っているのが、空母「信濃」が建造された横須賀海軍施設の6号ドックである(2021年9月7日、吉永陽一撮影)。

 現在の横須賀駅は開通時から移転していないため、同じ位置にあります。構造はちょっと特徴的で、頭端式ホームの2番線と久里浜までのスルー式の3番線から成り、1番線が欠番です。現在の駅舎は1940(昭和15)年築で、激動の時代を記憶しています。

 横須賀駅の目の前はヴェルニー公園となっており、岸壁からは多くの艦船を見ることができます。向かって左側は海上自衛隊の基地となっていて、すぐ近くにあるのは逸見岸壁。「いずも」をはじめ多くの艦船が停泊する岸壁です。

横須賀上空は飛行自粛区域あり

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Writer: 吉永陽一(写真作家)

1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。

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