【懐かしの国鉄写真】スイッチバックが連続していた中央東線

今から56年ほど前、関西地区から帰京する際に東海道本線ではなく、中央本線を利用しました。途中、甲府や大月で途中下車しましたが、見どころは勝沼駅(現在の勝沼ぶどう郷駅)。当時は単線でスイッチバックの駅だったのです。

この記事の目次

・関西方面からの帰路を中央本線経由で
・松本からは普通客車列車に乗り換え

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関西方面からの帰路を中央本線経由で

 1965(昭和40)年10月、関西方面からの復路を中央本線経由としました。前日は夕方まで京福電鉄叡山線(現在の叡山電鉄)を撮影してから普通列車で名古屋に出て、長野行きの夜行急行「きそ」に乗継ぎます。

 まだ中央西線は非電化だったので車両はキハ58系、その中にアプト区間用でエアサス台車のキハ57が入っていたので、迷わずこれに乗車しました。

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早朝なのに松本電鉄の列車はかなり混んでいた。モハ10形+クハ10形(102)の2連は日本車輌による鋼体化標準タイプの車体で、新潟交通や岳南鉄道などにも同形態の車両があった(1965年10月8日、楠居利彦撮影)。
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大糸線は松本電鉄と共用のホームから発着し、本線からは少し離れた位置にあった。クハ16は運転室寄りで荷物扱いをしていて、ホームと反対側のドアからも積込みが行われている。2両目のクモハ41は総武線の101系化により転属してきたもので、丸妻のモハ40を片運化したため、連結面は切妻になっている(1965年10月8日、楠居利彦撮影)。

松本からは普通客車列車に乗り換え

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Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)

1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。

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