偉大なる「B-29そっくり機」って? 実戦投入ゼロのB-50が証明した「世界のどこへでも核爆弾」

B-50が達成した世界記録と隠れたメッセージ

 1949(昭和24)年2月26日12時21分、テキサス州カーズウェル空軍基地を離陸した「ラッキー・レディII」は、東回りで世界を一周し、4日後の3月2日10時22分に同基地へ着陸しました。飛行時間は94時間1分、飛行距離は3万7742kmで、航路の途中、北大西洋アゾレス諸島のラジェス航空基地、サウジアラビアのダーラン飛行場、フィリピンのクラーク空軍基地、ハワイのヒッカム空軍基地、この4か所の上空でKB-29M空中給油機から飛んだまま燃料補給を受けています。

「ラッキー・レディII」は、長距離飛行に備えて爆弾倉内に増加燃料タンクを積んでいましたが、防御火器の50口径12.7mm機関銃12挺はそのままでした。また、パイロットは休息時の交代要員として1名多い3名が乗り込み、全乗員数は14名を数えました。

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アメリカ空軍のKB-50空中給油機。補助として主翼下にジェット・エンジンを追加装備している(画像:アメリカ空軍)。

 このときの成功により、「ラッキー・レディII」は世界初の無着陸世界一周飛行を達成した機体として飛行機の歴史に名を刻むこととなります。ただ、この成功は単に航空史上の快挙というだけではありませんでした。これにより、アメリカ戦略航空軍団は、大統領/政府が決断すれば世界中のどこへでも、核爆弾を積んだ戦略爆撃機を送り込むぞという全世界に向けたメッセージにもなったのです。

 しかし一方で、B-50が実戦に参加する機会はついぞありませんでした。1950(昭和25)年6月に始まった朝鮮戦争には、旧式化したB-29は投入されたものの、本機はアメリカの核戦力を維持するため温存されます。

 やがて軍用機のジェット化により、B-50は爆撃任務からは外れ、改修されて支援機である給油機型のKB-50や気象観測機仕様のWB-50となりました。ただ、これら支援機はジェット化の必要性が低かったこともあって長生きし、1965(昭和40)年まで使われ続けました。そのためKB-50空中給油機は、ベトナム戦争にも参加しています。

 KB-50やWB-50は在日米軍でも運用され、長らく日本に駐留していたので、「B-29のそっくりさん」たるこれら機体は、大戦終結から20年経っても日本の空を飛んでいたのです。

 B-50は生まれた時期が悪かったからこそ実戦参加できなかったと言えますが、逆にジェット化されなかったからこそ、B-29ゆずりの優秀性を活かして支援機として飛び続けたとも言えるのかもしれません。

【了】

【機内の様子も】どこが違う? 原型B-29とB-50を見比べ

Writer: 白石 光(戦史研究家)

東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。

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