ミッドウェーの快挙「遅い飛行艇で夜間雷撃」の武勇 裏に「パールハーバー!」の男

レーダーが頼りの夜間低空飛行

 ラムゼィは4機の「カタリナ」の右主翼下に魚雷を1本ずつ搭載させると、辣腕の「カタリナ」乗りとして知られていたリチャーズ大尉を指揮官に任命し、夜中の21時30分頃に出撃させます。

 リチャーズは、日付が変わった6月4日の夜1時20分に日本側のミッドウェー攻略部隊の船団を「カタリナ」の機上レーダーで捕捉。そこで彼は、僚機に位置を知らせるべく大きな旋回飛行を行った後に、雷撃突進を開始します。

 わずかな月明かりが差すなか、レーダーを頼りに海面ぎりぎりの低空飛行を実施するだけでも至難のワザですが、敵艦船との適切な距離を見定めたところで魚雷を投下しなければなりません。

 先頭を飛ぶ指揮官リチャーズ大尉が乗る1番機は最初に雷撃を試みたので、ほとんど日本側の反撃を受けることなく、魚雷を投射して日本軍艦船の頭上を飛び抜けることに成功します。しかし残りの機は、リチャーズ大尉機の飛来によって行われるようになった熾烈な弾幕を潜って雷撃することになったため、デーヴィス中尉機などは、実に58もの弾痕を穿たれた状態で帰還したといいます。また、ローゼンバーグ少尉機に至っては、対空砲火があまりに激しかったせいで、雷撃できずに引き揚げざるを得ませんでした。

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アメリカ海軍のコンソリデーテッドPBY「カタリナ」飛行艇(画像:アメリカ海軍)。

 こうして、航空史上初の「レーダーを使用した夜間雷撃」は、短時間のうちに幕を閉じました。とはいえ、ぶっつけ本番の一発勝負だったにもかかわらず、意外な戦果をあげます。投射された3本の魚雷のうち1本が油槽船「あけぼの丸」の船首に命中したほか、別の機による機銃掃射が、輸送船「清澄丸」に損傷を与えたのです。

 ミッドウェー環礁を巡る戦い、いわゆる「ミッドウェー海戦」では日本側の空母機動部隊が大敗したことはよく知られています。事実、そのことは「太平洋戦争のターニングポイント」にもなったとも一部では言われています。

 しかしその陰で、鈍重な飛行艇「カタリナ」による、航空史上に足跡を残す意外な記録もまた生まれていたのでした。

【了】

【写真】魚雷を投下する「カタリナ」飛行艇ほか

Writer: 白石 光(戦史研究家)

東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。

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