ミッドウェーの快挙「遅い飛行艇で夜間雷撃」の武勇 裏に「パールハーバー!」の男
太平洋戦争のターニングポイントになったと言われることもある「ミッドウェー海戦」。実は日米の空母どうしによる戦いの裏で、鈍重な飛行艇による史上初のレーダー夜間雷撃成功という快挙もありました。その知られざる作戦とは。
最新鋭の電子装備を搭載した旧式飛行艇
今から約80年前、鈍足の飛行艇が夜間雷撃を成功させるという偉業を成し遂げました。今でこそ、ミサイルを始めとして砲弾や魚雷などを、赤外線やGPS誘導などさまざまな技術を用いて夜間でもピンポイントで目標に命中させることができるようになっていますが、80年前の当時は、夜間に空から敵艦を探し出し、それに魚雷を命中させるなどということは、普通に考えれば、ほぼ不可能でした。
しかし、レーダーの出現がそれを可能にしたのです。実際、夜間の魚雷攻撃(雷撃)を成功させたのは、当時、最新であったレーダーを搭載した飛行艇でした。その機体の名はコンソリデーテッド社のPBY「カタリナ」。PはPatrol(哨戒)、BはBomber(爆撃)、Yは海軍がコンソリデーテッド社に割り当てた企業識別記号を意味します。この飛行艇がどのようにして史上初の夜間雷撃を行うことになったのか、経緯を追って見ていきます。
「カタリナ」飛行艇は、1935(昭和10)年3月28日に初飛行した双発機です。太平洋戦争勃発の7年あまり前に設計・開発された機体で、すでに開戦時点で性能的には陳腐化し始めていたものの、アメリカの参戦以前にイギリスへ提供された機体が実戦で使われ、その運用のしやすさや高い稼働率などから好評価を得ていました。しかし一方で、アメリカ海軍太平洋艦隊に所属する機体は、開戦当初は絶対数が不足気味でした。
太平洋戦争序盤は、負け戦が続いていたアメリカでしたが、1942(昭和17)年5月、ハワイのオアフ島に所在する太平洋艦隊の暗号解読班が日本の暗号解読に成功し、次の攻撃目標がミッドウェー環礁であることを突き止めます。そこでアメリカ軍は、なけなしの「カタリナ」を、優秀な指揮官とともに現地へ派遣しました。
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