ミッドウェー海戦大敗北は「利根四号機」の責か 重巡「利根」とその艦載偵察機の戦い

太平洋戦争のターニングポイントとなったミッドウェー海戦、その勝敗を分けたのは、1機の偵察機かもしれません。永らく大敗北の一因と語られてきた1機の偵察機と、その所属艦である重巡洋艦「利根」の航跡を追います。

ミッドウェー海戦の敗因に挙げられる「利根四号機」とは

 太平洋戦争の勝敗の分水嶺となったミッドウェー海戦、その日本側敗北の原因のひとつが、重巡洋艦「利根」のカタパルト故障による零式水上偵察機「利根四号機」のアメリカ空母発見の遅れだとする説は長く唱えられてきました。ウォルター・ロード著『Incredible Victory(信じがたい勝利): The Battle of Midway』にもそうした記述があり、そして「利根四号機」はすっかり有名になってしまいました。敗北の責任は「利根」にあるのでしょうか。

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「利根四号機」としても使われた零式水上偵察機。戦艦や巡洋艦など主力艦艇に搭載され、文字通り海軍の目となった。

「利根」は1938(昭和13)年11月20日に竣工した、索敵力を重視した特異形態の水上機母艦的な巡洋艦で、巡洋艦の戦闘力を持ちながら捜索力も強化し空母の艦載機戦力を割くことなく、機動部隊の索敵能力を補完する目的で建造されました。

 従来の巡洋艦は後部砲塔近くに水上機を配置しており、発砲の衝撃で水上機が破損してしまうので、砲戦前に発進させなければなりませんでした。「利根」はこの問題を解決するため、主砲塔4基を艦前部に集中配置し、後部は水上機運用甲板とする一見、特異な主砲の前方集中配置としたのです。水上偵察機6機まで搭載可能でしたが、4機から5機を定数として運用されました。

 その形状のおかげで「利根」は、砲塔や弾薬庫といったバイタルパートが小さく収まって重量をあまり気にせず装甲を厚くでき、日本海軍の重巡としてはもっとも防御力が高くなりました。集中配置した連装の主砲を斉射すると複数の砲弾が干渉しあって、命中率が悪くなる欠点がありましたが、左右両砲の発砲に0.03秒差をつけるように改修されて解消しています。

 ほか、艦内スペースに余裕ができて居住性が良い、艦橋が艦の中心にあって操艦しやすい、航続力も巡洋艦の中では最大、など、使い勝手の良く評判も高いフネでした。

主砲の配置が特徴的すぎる重巡「利根」の米海軍艦種識別表

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コメント

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3件のコメント

  1. 今は衛星が海上を監視しています田(^∇^)田水上艦だけでなくシュノーケル中の通常動力潜水艦も発見できるそうです(☆∇☆)
    日本の海洋監視衛星の陣容や運用は十分でしょうか(?_?)不備があれば利根4号機の惨劇が再来するでしょう(ToT)

  2. しかし、索敵機の数を多くすれば攻撃に回す機数が減ることにもなります。雲の量など天候にも左右されますし、当時の無線機や航法機器もあまり頼りになりません。しかも低速の水上機は敵戦闘機に発見されたら逃げられませんので、接敵も慎重にならざるを得ません。索敵は多分に運任せでした。

    水上機は攻撃に回さないでしょ…

  3. とかく、当時の利根・筑摩などの索敵機能力の低さという話だけが原因であるかのように言われていますが、私個人と意見としましては、この海戦の2ほど前に、日本本土よりハワイ方面から、太平洋方面にかけて米海軍の至急電報が多しという警告電報が南雲艦隊の後方を航行していた山本五十六指揮下の連合艦隊に届いていました。これを、当時の宇垣参謀長が、多分南雲艦隊にもこの知らせが達しているだろうと勝手にいいように推測して、念のために無線能力の低い赤城以下の南雲艦隊に転送すべきでは?という他の参謀達の意見具志を止めてしまったことが、最大の敗因だと思われます。この報告が南雲艦隊に届いていれば、全く違った戦局になっていたのでは?と思われます。