真珠湾になぜ「パンナム」が? ゴリゴリ軍事施設に超異彩民間航空の展示 物語る“戦争”

パンナムとハワイが強く結びついたワケ

 そこで太平洋上に数か所、途中給油のポイントを作ることになります。それが、ハワイとミッドウェーです。アメリカ~東南アジア線の場合、一旦ハワイまで飛び、休養をとり燃料を補給、そこからミッドウェーまで飛び、そこからさらにアメリカ領の島を経て東南アジアまで飛ぶ――というのが、スタンダードになります。ちなみに、太平洋横断路線の開拓にあたっては、かの有名なリンドバーグ夫妻が小型水上機で飛行しながら調査にあたり、日本にも寄港しています。

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2021年8月現在の「パール・ハーバー」の様子(乗りものニュース編集部撮影)。

 ちなみに、ハワイにしても、ミッドウェーにしても、太平洋戦争において重要な意味を持つ土地であることは広く知られているところです。アメリカにとって東南アジアとの戦略的に重要な中継地点であったことは明らかであり、当時の日本にとっては「喉から手がでるほど押さえたかった土地」なのでしょう。

 戦後のパンナムは、ホノルル、東京を中継地点とする世界初の世界一周路線を1947(昭和22)年に開設。その後、ノースウエスト航空に続いてホノルル国際空港から東京国際空港への乗り入れをプロペラ旅客機である「ダグラスDC-4」で開始しました。以降日本でも、その名が徐々に広く知られるようになります。

 ちなみに、パンナムのシップ(機体)には、伝統的に「○○クリッパー」という名称が与えられています。「ハワイ・クリッパー」も存在し、マーチンM-130飛行艇に、その名が与えられました。

 パンナムは1991(平成3)年に運航を終了していますが、2021年現在も、ホノルルのアラモアナ地区には「PAN AMERICAN」のロゴが書かれた「パンナムビル」が残っているようです。

【了】

【写真レポ】まさか真珠湾で!異彩放つ「パンナム」展示物をササッと見る(17枚)

Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)

成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。

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