「大和」だけじゃない 大艦巨砲主義の象徴&最も戦艦にこだわり続けたアメリカのナゼ

戦後も活躍したアメリカ戦艦

 航空機が主役の時代にあっても、戦艦を航空攻撃のみで沈めるのは、実はかなり困難でした。

 1944(昭和19)年10月に起きたレイテ沖海戦のうちシブヤン海海戦では航空機の支援がなく、戦艦「武藏」が沈められたといわれます。これは日本軍が限られた航空機を敵の空母部隊に集中させるしかなかったからでした。

 シブヤン海海戦は8時間にわたる死闘でしたが、沈没したのは「武藏」だけで、重巡「妙高」が脱落した程度です。これに対し、アメリカ軍はのべ286機が出撃し、撃墜や不時着水などで19機を失い、40機が被弾で損傷しました(アメリカ海軍の戦闘報告書から集計)。

 ここからくみ取れるのは、対空用の円陣を組んだ艦隊を攻撃するのは、アメリカ軍でも容易ではなかったという点であり、決して航空機が万能だったわけではないということです。

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湾岸戦争でトマホークを発射する「ウィスコンシン」(画像:アメリカ海軍)。

 レイテ沖海戦ではアメリカ軍が戦艦部隊を栗田艦隊に差し向けており、大和型とアイオワ級という日米の戦艦同士が砲撃戦を行う可能性がありました。双方の艦隊がわずかなタイミングで行き違ったため、戦艦同士が砲火を交える機会はありませんでした。

 これについて、アメリカ艦隊の司令官ウィリアム・ハルゼーは、「兵学校以来の夢がかなわなかったのが残念だ」と自伝に書いています。なぜなら、当時のアメリカでは20世紀初頭に兵学校で学んだ多くの司令官が、日露戦争のような戦艦の砲撃戦を夢みていたからです。

 しかも、アメリカは第2次世界大戦後も戦艦を使い続けました。アメリカ海軍はアイオワ級戦艦を朝鮮戦争とベトナム戦争で地上への支援射撃で使用し、1991(平成3)年の湾岸戦争でも巡航ミサイルを地上目標に対して放っています。

 このように大戦後も長らく使われ続けたアイオワ級戦艦がすべて退役したのは1992(平成4)年でした。こうして見てみると、どの国よりも戦艦にこだわっていたのは、アメリカだったといえるのではないでしょうか。

【了】

【写真】太平洋戦争中の日米戦艦

Writer: 時実雅信(軍事ライター、編集者、翻訳家)

軍事雑誌や書籍の編集。日本海軍、欧米海軍の艦艇や軍用機、戦史の記事を執筆するとともに、ニュートン・ミリタリーシリーズで、アメリカ空軍戦闘機。F-22ラプター、F-35ライトニングⅡの翻訳本がある。

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コメント

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2件のコメント

  1. 今では海軍の主力は、駆逐艦ですからね。
    でかいのを1隻作るよりも、運用しやすい駆逐艦を10隻の方が作戦遂行にはいいのでしょう。
    70年前は航空機だった長距離砲の代わりは、今ではミサイルがやってますからね。

    水平線の向う側にいる敵艦目掛けてミサイルが飛んでいく時代ですから。

    • wwⅡの時で、既に水平線の向こうの敵と砲戦してます。