「日本の新鋭軽巡恐るべし」「特異な巡洋艦」世界を震撼させた「夕張」1隻で終わったワケ

金欠事情が画期的な艦を生み出した源

「夕張」が計画されたのは、1917(大正6)年度。当時、旧日本海軍は戦艦8隻、巡洋戦艦4隻の整備を目指した、いわゆる「八四艦隊計画」を推進していた時期で、その予算で建造が計画されたのです。同期の軍艦は加賀型戦艦や天城型巡洋戦艦、球磨型や長良型の両軽巡洋艦でした。

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旧日本海軍の軽巡洋艦「夕張」(画像:アメリカ海軍)。

 この時点で、日本の国家予算に占める軍事費の割合は、40.4%にも達していました。しかし、日本はアメリカへの対抗上、さらに強大な戦艦8隻、巡洋戦艦8隻を中心とする八八艦隊を目指していたため、さらなる軍事費の増額は避けられない情勢でした。

 こうした情勢下、藤本喜久雄造船大佐が画期的な巡洋艦を着想し、それに賛同した平賀譲造船少将が関係方面を説得して、建造にこぎつけたのが「夕張」でした。平賀造船少将は5500トン型のいわゆる球磨型や長良型13隻を、3100トン型すなわち夕張型13隻にすれば、戦艦1隻分の建造費用を捻出できると説き、5500トン型の1隻を「夕張」に変更させたのです。

 当時の「大正六年度計画」を参考にすると、軽巡が691万円、小型軽巡が455万円ですから、13隻で3068万円の差となります。同年度予算の加賀型戦艦「加賀」が2692万円ですから、実現すれば戦艦1隻分は安くなる計算でした。

【外観からも差は歴然】「夕張」と同世代の軽巡洋艦たち

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コメント

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4件のコメント

  1. オマハの注釈がある写真は夕張ですよね

    • ですね、
      オマハ級は4本煙突だし

  2. 拡大画像

    アメリカ海軍の軽巡洋艦「オマハ」(画像:アメリカ海軍)。

    とありますが、夕張でしょう。

    • 乗りものニュース編集部です。

      このたびはご指摘をいただき、誠にありがとうございます。
      修正いたしました(写真を差し替え)。

      これからも変わらぬご愛顧を賜りますよう、
      何卒よろしくお願い申し上げます。