安定のドイツ製に換装…しない! WW2イタリア国産エンジン戦闘機 用途変えて奮闘へ

戦闘爆撃機としての運用と活躍

 こうしてRe.2002「アリエテ」は実用化が遅れたため、配備が始まったころには戦闘機としてやや役不足になっていました。最高速度も530km/h程度しか出ず、性能的に見劣りがしました。

 そこで堅牢な機体構造に注目したイタリア空軍は、Re2002の役割を戦闘機から戦闘爆撃機に変更、機体を爆撃用に改修します。Re.2002は見事その期待に応え、胴体下面と左右翼面下に最大650kgの爆装が可能なようになり、機首にはブレダ12.7mm機関銃2挺、左右主翼内にはブレダ7.7mm機関銃各1挺を装備しました。

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1943年8月、カラブリア州南部にあるイーゾラ・ディ・カポ・リッツート基地に展開した、第101戦闘爆撃航空群第208飛行隊所属のRe.2002(吉川和篤作画)。

 こうして活路を見出されたRe.2002は、1942(昭和17)年7月から生産が始まり、翌年9月のイタリア休戦までに150機が空軍の急降下爆撃隊へ引き渡されています。その一部は、ドイツのJu87急降下爆撃機によるスキップ爆撃で戦果を挙げたジュゼッペ・チェンニ司令率いる第102急降下爆撃航空群に配備され、シチリア島や、その対岸にあたるカラブリア(いわゆるイタリアの爪先)に上陸した連合軍へ対地攻撃を行い、輸送船1隻や上陸用舟艇4隻を撃沈する戦果を挙げました。

 また休戦後まで生き残った機体の一部は、後に連合国側となった南王国空軍の第5航空団所属となり、バルカン半島での対ドイツ軍対地攻撃に投入されて終戦まで戦っています。また休戦後に組み立てられた別の40機はドイツ空軍に配備されて、一部がフランスのレジスタンス地区への地上攻撃に使用されました。

 液冷エンジンの導入が失敗に終わったRe.2000シリーズでしたが、のちに新型のダイムラー・ベンツ製DB605液冷エンジン(1475馬力)を、フィアット社がライセンス生産に成功したことで、これを搭載した改良型が1942(昭和17)年に誕生しています。Re.2005「サッジタリオ」(射手座の意)と呼ばれた新戦闘機は最高速度628km/hの性能を示し、その活躍が大いに期待されたものの、連合軍の工場爆撃により生産数はごくわずかで終わり、戦争の趨勢に影響を与えることなく姿を消していきました。

【了】

【イタリア最強!?】デビュー遅すぎた傑作機Re.2005「サッジタリオ」

Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。

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コメント

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1件のコメント

  1. 内容と関係ないのであれですが
    役不足は能力に対して割り当てられている役目が軽い事を意味してます
    誤用している人の方が多数派になりつつありますが、物書きが間違えてはいけません
    辞書をきちんと引いてください