驚きの175隻!「史上最も量産された艦隊駆逐艦」米フレッチャー級 “質より量”じゃないからスゴイ!

余裕ある船体サイズでアップデートにも逐次対応

 とはいえアメリカ海軍も、ただ手をこまねいていたわけではなく、将来を見据えて軍縮条約の規定内で各種の駆逐艦を建造しています。そして1936(昭和11)年に軍縮条約が失効すると、同海軍は新型駆逐艦の研究開発を本格的に強化。こうして1939(昭和14)年9月から、建造計画が立てられたのがフレッチャー級駆逐艦でした。

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フレッチャー級駆逐艦のネームシップである1番艦「フレッチャー」(画像:アメリカ海軍)。

 ワシントンとロンドンの両軍縮条約が失効し、それに伴って排水量の制限も消滅した結果、フレッチャー級は最大速力36.5ノット(約67.6km/h)、基準排水量約2100トンと、当時としてはやや大柄な駆逐艦になりました。これはまさに「大は小を兼ねる」という諺のとおりで、軍艦に関しても船体が大きいほうがなにかと有利だからです。

 この排水量制限がなくなったおかげで、アメリカ海軍が求める航洋性を満たし、燃料搭載量も増えたことで長駆高速で航行することの多い空母機動部隊に追随できる能力を備え、航空機が主力となる戦闘環境下における、対空火力の逐次増強も受け容れることができたといえるでしょう。

 特に対空兵装の強化は著しいものがありました。極初期のフレッチャー級は、4連装1.1インチ(約28mm)機関銃1基と単装50口径(12.7mm)機関銃4~6挺しか装備していませんでした。しかしこれが終戦間際になると、旧日本海軍にまともな水上戦闘艦がほとんど残っていなかったことも影響して、2基ある魚雷発射管のうち前部の1基を撤去。代わりに、4連装40mmボフォース機関砲2基、同連装3基、連装20mmエリコン機関銃4基、同単装3挺を装備するほどまでに至っていました。これは、当時の駆逐艦としては最強ともいえる対空火力です。

【海自護衛艦「ありあけ」も】戦後、近代化改装を受けたフレッチャー級の各艦

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