驚きの175隻!「史上最も量産された艦隊駆逐艦」米フレッチャー級 “質より量”じゃないからスゴイ!
海上自衛隊でも「ゆうぐれ」「ありあけ」として運用
また船体サイズに余裕があり、なおかつ数多く造られたことにより、第2次世界大戦が終結してもフレッチャー級は重用され続けました。アメリカ海軍に在籍し続けて近代化改装を施されただけでなく、日本を始めとして、台湾、韓国、西ドイツ、スペイン、イタリア、ギリシャ、トルコ、メキシコ、ブラジル、ペルー、アルゼンチン、チリ、コロンビアと、世界中にあるアメリカの同盟国に提供され、有力な供与兵器として使われたのです。
日本に引き渡されたのは「ヘイウッド・L・エドワード」と「リチャード・P・リアリー」の2隻。それぞれ供与に伴い「ありあけ」「ゆうぐれ」と名を変え、1960(昭和35)年から1974(昭和49)年までの14年間、自衛艦として海上自衛隊で従事しています。
日本に供与された2隻は1974(昭和49)年にアメリカへ返還されると、2年後の1976(昭和51)年にアメリカ本土でスクラップとして解体されています。
ちなみに「175人姉妹」の最後の1隻、メキシコ海軍の「クィトラゥワク」が退役したのは、2001(平成13)年のこと。この艦はもともと「ジョン・ロジャース」という名で第2次世界大戦中の1943(昭和18)年2月9日に就役しているため、それから実に約58年間、老体に鞭打ちながら働き続けた形でした。この長寿ぶりを見てもフレッチャー級の元設計の優秀さがわかるといえるでしょう。
【了】
Writer: 白石 光(戦史研究家)
東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。
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