発見!「左ハンドルの国内用ランクル消防車」戦後沖縄の生き証人的クルマ“譲ります”
1972年5月15日、沖縄がアメリカから日本に復帰しましたが、その半世紀を見続けてきた左ハンドルの消防車を沖縄で見つけました。沖縄の歴史を語るうえでも貴重な車両の足跡を振り返ります。
貴重な左ハンドルのランドクルーザー消防車
2022年は沖縄県が日本に復帰してからちょうど50年の節目です。太平洋戦争において地上戦が繰り広げられた沖縄は、戦後アメリカ軍の統治下におかれ、交通法規もアメリカに準じていました。自動車は右側通行とされたため、左ハンドル車ばかりで、トヨタや日産といった国内メーカーも左ハンドルの「沖縄仕様」を造り、沖縄へ“輸出”していたのです。
そのような時期に沖縄の消防署へ納入され、使われ続けてきた左ハンドルの消防車が、半世紀たった現在も沖縄本島に残っているというので話を聞いてきました。
向かったのは本島北部の名護市にある有限会社北部スズキ。ここに左ハンドルの消防車がありました。敷地の一角にブルーシートがかけられた状態でおいてあり、すでにボディは外され、部品ごとにバラバラの状態にされていました。
同社の代表取締役である知念義彦さんの話によると、この車両はもともと市内にある民俗資料博物館にあった車両とのこと。そこから有償で譲り受けレストアに着手したものの、諸般の事情で作業は中断、シートやボディを分離した状態で置いてあるとのことでした。
バラバラにはなっているものの、赤く塗られたボンネットやボディの一部は健在。消防車として使われていたことを示す各種銘板が残されていたほか、エンジンにも「トヨタF型消防用エンジン」の銘板がありました。
そこで見つけたのが「日本損害保険協会 寄贈」という文字です。民俗資料博物館のスタッフの話で、この車両は名護市消防本部で使われていたものだとわかりました。名護市は1970(昭和45)年8月1日に旧名護町と羽地村、久志村、屋部村、屋我地村の5町村が合併して誕生しましたが、そのときに同日付で名護市消防本部も発足。その際に保険会社から最新の消防車として寄贈されたのが同車だったそうです。
コメント