あさま山荘事件の“盾” 非ハリボテ装甲車の考え抜かれた形 警視庁「特型警備車」誕生秘話
いまから半世紀前におきたあさま山荘事件で機動隊員らの盾になった特型警備車。この警察車両はいったいどのような経緯で誕生し姿を消したのか、開発者の記録やカメラマンの話からひも解きます。
あさま山荘前で目立っていた銀色の装甲車
2022年2月は、昭和史に残る「あさま山荘事件」から50年の節目の年です。半世紀前の1972(昭和47)年2月19日、日本の新左翼組織である連合赤軍のメンバー5人が、長野県軽井沢町の保養所「浅間山荘」を襲撃、管理人(当時)の女性を人質にとって建物内に立てこもりました。
これに対し、長野県警機動隊と警視庁機動隊が山荘を取り囲み、1週間以上にわたって対峙。10日目の2月28日に強行突入し、人質を無事救出、犯人5人を逮捕しました。
日本中が固唾を飲んで事態の推移を見守っていたなか、注目を集めた車両のひとつが、警視庁機動隊が現地に持ち込んだ銀色の装甲車「特型警備車」でした。とはいえ、パっと見はボンネットトラックに、いかにも装甲を強化しましたという、まるでハリボテのようなルックスです。
しかし、その能力は本格的。実はこの装甲車、1960年代後半の学生運動が激しさを増していたころに誕生したものでした。
三菱重工でその開発に携わった林 磐男技師の記録によると、特型警備車の誕生以前にも警視庁などには鋼板を用いた警備車があったといいます。1950年代後半には国内自動車メーカーのバス型車両をベースに、2~3mm程度の普通鋼板と強化ガラスでボディを囲った「警備車」を納入していたとのこと。これが現在に続く、人員輸送も行えるバス型の警備車の元祖になるそうです。
ただ、当時は投石などに耐えられる程度でよかったため、普通鋼板で問題なかったようです。このような状況が変わったのが、1960年代に入ってからでした。
各種の映画やアニメにも警察車両として登場したりしてますね。
配色もねずみ色だけでなく白黒のツートンカラーだったりと見栄え良い配色だったりしてます。
佐々淳行の「危機管理のノウハウ」という本は、面白いし役に立つ。