都電の線路を移設しての大工事 何を造っている? 雑司ヶ谷は「大正~令和の3階建て」に
「大正の線路」、令和の時代も共存に向け
この未完成区間の環状5号は平成時代に計画のアレンジがなされ、千登世橋付近から池袋方面に向けて845mがトンネルへと変更されました。ちょうど東京メトロ副都心線が下を通っている区間です。
鬼子母神停留場の付近では、地上に都電と環状5号の側道、地下1階に環状第5号の本線、地下2階に東京メトロ副都心線といった、地上地下あわせて3階建てとなります。都電の雑司ヶ谷~鬼子母神前間が1925(大正14)年、鬼子母神前~面影橋間が1928(昭和3)年の開業(いずれも当時は王子電気軌道)、東京メトロ副都心線が2008(平成20)年開業(池袋~渋谷)なので、大正、昭和、平成、そして令和の環状5号という、4つの時代にわたる交通機関・施設が地上と地下に折り重なることになるわけです。竣工は2027(令和9)年度が予定されています。
なお、都電荒川線の東池袋四丁目~向原間でも線路を移設しての大がかりな工事が行われていますが、こちらは補助81号線(道路)の工事に伴うものです。
都電は、全盛期の1962(昭和37)年には全40系統(26系統はトロリーバス化で欠番)、営業キロ数213kmの路線が都心に張り巡らされていました。道路の渋滞緩和のために1967(昭和42)年からものすごいペースで廃止が始まり、1972(昭和47)年以降は都電荒川線だけになってしまいました。
そうした時代を経て生き残ってきた都電荒川線も、他の交通手段と共存するために、今回のような線路を移動させての工事などで、その姿を変えてきているのです。
【了】
Writer: 内田宗治(フリーライター)
フリーライター。地形散歩ライター。実業之日本社で旅行ガイドシリーズの編集長などを経てフリーに。散歩、鉄道、インバウンド、自然災害などのテーマで主に執筆。著書に『関東大震災と鉄道』(ちくま文庫)、『地形で解ける!東京の街の秘密50』(実業之日本社)、『外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史』(中公新書)』ほか多数。
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