露軍が破壊 世界最大の飛行機「An-225」とは ナゼ世界に1機? "空飛ぶ世界遺産”無二の歴史
モンスター機「An-225」誕生の経緯
1970年代のソ連では、アメリカ側の宇宙進出に東側諸国として対抗すべく、「エネルギア」というロケットに、ソ連版スペース・シャトル(再使用型宇宙往還機)「ブラン」を搭載して宇宙へ向け打ち上げる――という通称「ブラン計画」が進行していました。
ここで問題となったのが、「ブラン」を製造工場、発射場所、帰還後の着陸地といった各地からどう空輸するか、という点です。飛行機の上に飛行機を載せて飛ぶことになるため、これを担う輸送機のサイズは巨大でなければいけません。なお、アメリカのスペース・シャトル計画では、「ジャンボ・ジェット」ことボーイング747の胴体の上に機体を載せて輸送する方法が採用されています。
ブラン計画でも、同様に「ブラン」を空輸できる輸送機が必要だったものの、当時アントノフ設計局の最大の輸送機であったAn-124「ルスラン」では、とてもこれを担えるほどのキャパシティはありませんでした。そこでAn-124を大型化し、エンジンを6基搭載したAn-225「ムリヤ」が開発されたのです。
ただ「ブラン計画」は1988(昭和63)年に無人機の発射と自動着陸に成功したものの、ソ練の崩壊にともなって計画はとん挫します。An-225「ムリヤ」も一時“用済み”となってしまいました。その巨大さゆえ、輸送機として運用できる空港も限られることから、ウクライナの工場に放置され、An-124に使える部品は剥がされて、一時はスクラップ同然の状態でした。
そのようななか、アントノフ企業の一形態として、An-124「ルスラン」のチャーターをウリにする航空会社が設立されます。これが冒頭のアントノフ航空です。
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