実は世界一の雷撃力? 重巡「伊吹」の超スペック 空母化も遅れ大戦に全く寄与せず

戦争に間に合わずに建造中止

 ライバルである、インディペンデンス級軽空母の飛行甲板が、カタパルト装備とはいえ、全長168.3m、全幅22.3mでも飛行甲板が狭すぎると問題視されたことを考えるなら、「伊吹」の飛行甲板は、雲龍型正規空母(飛行甲板長216.9m)に迫る優秀さといえるでしょう。

 空母「伊吹」は基準排水量1万2500トン、29ノット(約53.7km/h)、搭載機は艦上戦闘機「烈風」15機、艦上攻撃機「流星」12機の計27機を予定していました。なお、格納庫を一段にした関係で格納庫が狭く、「烈風」11機については飛行甲板上に露天係止される予定でした。

 ちなみに、インディペンデンス級軽空母は45機の艦載機を搭載可能であることから、27機しか搭載できない「伊吹」よりも上という見解がありますが、インディペンデンス級の45機はあくまでも計画値で、実際には戦闘機24機、雷撃機9機の計33機程度ともいわれています。とはいえ、同級は「伊吹」を上回る速力31.6ノット(約58.5km/h)を発揮でき、優秀な艦型でした。

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太平洋戦争終戦後の1945年11月、佐世保で撮影された空母「伊吹」。手前に並んで係留されているのは、旧日本海軍が用いた「波-105」「波-106」「波-109」の各潜水艦(画像:アメリカ海軍)。

 前述した通り「伊吹」は艦の全長より長い飛行甲板を備えていたこともあり、操艦と航空機の指揮上の理由から、飛行甲板に張り出す形で、軽空母としては珍しい島式艦橋を備えていました。また、阿賀野型軽巡洋艦に搭載された、長8cm連装高角砲(高射砲)2基4門も搭載されています。これは装備位置が高く、両舷に発砲できる設計でした。

 このように「伊吹」は、カタログスペック的には新型艦載機が運用可能な、有力な軽空母になれる内容でしたが、資材および労働力の不足や、主砲塔まで搭載した状態からの空母改装に手間取ったこともあり、終戦が近い1945(昭和20)年になっても完成しませんでした。

 結局、この時点で日本空母が作戦を行う見込みはなく、「伊吹」は同年3月に進捗率80%で工事が中止され、戦局になんら寄与せずに終戦を迎えました。

 もし「伊吹」を重巡として、そのまま建造を進めていれば、1944(昭和19)年10月のレイテ沖海戦に参加していたでしょうから、方針変更で活躍できなかった悲劇の艦、裏を返せば、旧日本海軍のあいまいな方針に翻弄され続けた結果、完成しなかったともいえるのかもしれません。

【了】

【解体中の姿も】原型となった重巡「鈴谷」「熊野」&空母「伊吹」の俯瞰写真

Writer: 安藤昌季(乗りものライター)

ゲーム雑誌でゲームデザインをした経験を活かして、鉄道会社のキャラクター企画に携わるうちに、乗りものや歴史、ミリタリーの記事も書くようになった乗りものライター。著書『日本全国2万3997.8キロ イラストルポ乗り歩き』など、イラスト多めで、一般人にもわかりやすい乗りもの本が持ち味。

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