太平洋戦争の快進撃支えた「民間船」 高速貨物船ニューヨーク・ライナーたちの悲劇

手っ取り早く高速貨物船を揃えるための方策

「船舶改善助成施設」「優秀船舶助成施設」「大型優秀船建造助成施設」で建造された船は多岐にわたりますが、陸軍が重視したのは「ニューヨーク・ライナー」と呼ばれる、高速大型の貨物船でした。「ニューヨーク・ライナー」は、排水量の平均は約9000総トン(積載量で約1万トン、大きさは横浜にある「氷川丸」と同程度)、最高速度の平均は19ノット(約35.2km/h)で、戦時には所要の設備を施すことで上陸作戦に適した高速の大型輸送船となることができる性能を有していました。

 では、どのような設備が陸軍の軍隊輸送船には必要とされたのでしょうか。まず必要とされたのは兵員居住区です。これは船倉(倉庫)に設けられました。兵員用の居住施設は、おおむね3段程度の板敷で、蚕を育てる棚に似ていたことから「蚕棚」と呼ばれています。また兵員居住区の下、最下層の倉庫には馬欄甲板と呼ばれる軍馬の居住区も設けられ、船外から仮設の通風筒が延びていました。

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ニューギニアの海岸で擱座した「綾戸山丸」。門型のデリック・クレーンと船首に7.5cm野砲が搭載されているのがわかる(画像:Australian War Memorial)。

 また乗船する兵士のため甲板上には烹炊設備や給水タンク、厠(トイレ)が設けられていました。トイレは海水を使った水洗式ですが、汚物は船腹からそのまま垂れ流しでした。

 上陸作戦用の設備として、「大発(大発動艇)」や「小発(小発動艇)」などの上陸用舟艇を泛水(へんすい、水に浮かべること)させるために必要な大型のデリック・クレーンも設けられました。ほかにも、軍用無線の設備や船団として航行するのに必要な「編隊航行灯」も設置されています。加えて一部の船は「防空基幹船」として、高射砲や高射機関砲も搭載しました。

 旧日本陸軍は、こうした船にどの程度の兵員や装備を搭載できると考えていたのでしょう。「幕僚手簿」と呼ばれる当時の史料には、1個師団でおよそ15万総トン、上陸先鋒を担う1個支隊(歩兵連隊と砲兵大隊主体)で3万総トンが必要と見積もられていました。また、陸軍運輸部の規定では、兵士ひとりで3総トン(熱帯地で5総トン)、野砲では18総トンとされています。つまり、一度に大量の武装兵を上陸させる上陸作戦の先鋒には、その積載量からも、「船舶改善助成施設」で建造されたニューヨーク・ライナー型の輸送船が適
していたのです。

 実際に、太平洋戦争の劈頭、強襲上陸作戦となったマレー半島のコタバル上陸作戦では、投入された「淡路山丸」(三井商船船舶部:排水量9749総トン)、「綾戸山丸」(三井商船船舶部:同9749トン)、「佐倉丸」(日本郵船:同9600総トン)の3隻とも船舶改善助成規定で建造されたニューヨーク・ライナー型で、1個連隊基幹の戦闘部隊を、敵の砲火を冒して約4時間で上陸させています。

【イラストで解説】陸軍徴傭船の設備&日本の民間貨物船の死闘

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コメント

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2件のコメント

  1. 大勢亡くなりましたね

    • このかたたちは靖国へ行くことが出来たのでしょうか