太平洋戦争の快進撃支えた「民間船」 高速貨物船ニューヨーク・ライナーたちの悲劇

優秀ゆえに酷使され、多数の被害を出す

 しかし、補助金制度があったにもかかわらず、こうした高速大型の貨物船の隻数は不足していました。太平洋戦争緒戦においても、14ノット(約30km/h)以上の船団速度を持つ高速貨物船は24隻しかありませんでした。

 その数少ない優秀船も、戦争の半ばまでに多くが沈んでいます。先に挙げた「淡路山丸」は、開戦してすぐの1941(昭和16)年12月8日の時点で、爆撃によって炎上放棄され、太平洋戦争の戦没船第1号になっています。また日本郵船のS型およびN型と呼ばれたニューヨーク・ライナーも、大阪商船の関西丸型も、陸軍に徴傭された分は最前線もしくはそれに近い海域で戦没しています。

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アメリカ軍によって撮影されたパナマ運河通過時の「那古丸」。緒戦のマレー半島シンゴラ上陸から活躍するが1942(昭和17)年に爆撃をうけて沈没(画像:Naval History and Heritage Command)。

 船舶被害の統計から見てみると、緒戦のマレー半島上陸作戦で第一線兵団を運んだ船の平均トン数は8000総トンでしたが、輸送船がすべて撃沈されたことで「ダンピール海峡の悲劇」とよばれた、1943(昭和18)年3月のニューギニア向け軍隊輸送では、1隻平均3500総トンとなっており、ここからも大型船が著しく減少していたことがわかります。

 さらに、太平洋の要衝であるサイパン島をはじめとしたマリアナ諸島防備のための輸送船団は、1か月にわたり延べ127隻の輸送船(海軍所属の船も含む)を使用しましたが、その1隻当たりの船腹は1369総トンにしかなりませんでした。こうした小さい船で部隊や装備を運んでいては、いつまでたっても前線の防備は完成しません。

 実際のところ、すでに1942年の後半に行われたガダルカナル島強行輸送で、軍隊輸送、とくに敵前での輸送おいて使用された大型高速輸送船には約50%の被害が出ていたのです。

 1943(昭和18)年10月の絶対国防圏の策定から、翌年2月のマリアナ諸島への集中輸送の間、日本の船舶喪失数は152万720総トンでした。これは単純計算して18個師団を輸送できる数値です。

 太平洋戦争において、日本の戦争遂行能力にとどめをさしたのは、日本本土への海外物資ルートを狙ったアメリカ潜水艦なのはたしかでしょう。しかし、前線に新たな兵力を早急に展開する能力を失い、日本が「戦えない状況」に追い込まれてしまった大きな原因は、危険な任務に投入された高速大型船の最前線における被害の累積だったといえるのでないでしょうか。

【了】

【イラストで解説】陸軍徴傭船の設備&日本の民間貨物船の死闘

Writer: 樋口隆晴(編集者、ミリタリー・歴史ライター)

1966年東京生まれ、戦車専門誌『月刊PANZER』編集部員を経てフリーに。主な著書に『戦闘戦史』(作品社)、『武器と甲冑』(渡辺信吾と共著。ワンパブリッシング)など。他多数のムック等の企画プランニングも。

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コメント

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2件のコメント

  1. 大勢亡くなりましたね

    • このかたたちは靖国へ行くことが出来たのでしょうか