見事復元「九七艦攻」に描かれた機番の意味 兵庫「鶉野」と北条鉄道が伝える戦争の記憶

鉄道事故と未来に伝える記憶

 こうして鶉野飛行場を飛び立った九七艦攻による特別攻撃隊「白鷺隊」は、機体下部に80番爆弾(800kg)を一発懸吊して沖縄周辺のアメリカ軍艦船に体当たり攻撃を敢行しています。出撃は1945(昭和20)年4月6日の菊水一号作戦の第一護皇白鷺隊に始まり、5月4日の白鷺振武隊まで5回行われ、合計21機、63名の搭乗員が沖縄の空に散りました。しかし5月11日に串良基地を出撃した白鷺誠忠隊はエンジン不調で全機帰還しており、この翌日に第十航空艦隊が解散したことで、残った搭乗員らは原隊へ復帰しています。

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歴史を感じさせる木造駅舎の北条鉄道法華口駅とディーゼルカー。桜の季節には多くの鉄道ファンや写真愛好家がここを訪れる(吉川和篤撮影)。

 また、この特攻参加以外にも鶉野飛行場には悲しい歴史があります。それは白鷺隊が全機発進した直後の1945(昭和20)年3月31日に発生した、航空機による列車の脱線というものです。

 かなり珍しい鉄道事故ですが、原因は飛行場に隣接した工場で組み立てられていた新造機のトラブルでした。

 ここ川西航空機姫路製作所の鶉野工場では旧日本海軍の新型戦闘機「紫電改」が生産されていました。その1機がテスト飛行中にエンジン停止を起こし、不時着時に国鉄北条線(現在の北条鉄道)の線路を引っ掛けてしまったのです。そこに運悪く差し掛かかった上り列車が脱線・転覆してパイロットを含む11名が死亡、62名が負傷する大惨事になりました。

「soraかさい」の施設内では、この鉄道事故も特攻隊と同様、戦争の記憶として後世に伝えるべく、パネルの展示を行っています。なお、かつて姫路海軍航空隊の若者たちが利用したであろう北条鉄道の法華口駅は、2022年現在も当時と同じ木造駅舎やプラットホームが現役で使われています。

 鶉野飛行場跡ならびに「soraかさい」を訪れた際には法華口駅にも足を延ばしてみてはいかがでしょうか。国の登録有形文化財に指定されているため、風情ある佇まいを見ることができると思います。

【了】

【鶉野飛行場モチーフの学習マンガも】飛行場近隣に残るコンクリ製防空壕ほか

Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)

1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。

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