戦艦「日向」竣工-1918.4.30 後に世界唯一の「航空戦艦」へ 転換点は主砲爆発事故か

旧日本海軍の戦艦「日向」が1918年の今日、竣工しました。同艦は太平洋戦争中に、艦載機も運用できるよう後部に飛行甲板を設置しましたが、その実力を存分に発揮することなく終わりました。

同型艦は「伊勢」のみ

 1918(大正7)年の4月30日は、旧日本海軍の戦艦「日向」が竣工した日です。当初は同型艦「伊勢」とともに扶桑型戦艦として竣工する予定でしたが、設計変更が加えられ、伊勢型戦艦の2番艦となりました。

 とはいえ、35.6cm連装主砲を6基装備する点などは扶桑型と同じでした。竣工当時、ヨーロッパを主戦場とした第1次世界大戦が続いていましたが、そのようななか、大威力の主砲を数多く搭載した戦艦は、海上戦力の中心的存在だったのです。

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1930年頃の戦艦「日向」(画像:アメリカ海軍)。

「日向」は全長約210m、基準排水量約3万5300トンと、扶桑型を上回るスペックで竣工したため、長門型戦艦が登場するまで日本最大級でした。1920年代から30年代の戦間期には、ほかの戦艦とともに大規模な近代化改装を実施。射程の延伸、速力の向上、対空火器の増強などが行われました。「日向」が本格的な戦闘に参加するのは、1941(昭和16)年末に太平洋戦争が始まってからです。

 しかし開戦から約半年後の1942(昭和17)年5月、「日向」は主砲の射撃訓練中に、船体後部にあった第5砲塔の爆発事故を起こしてしまいます。砲塔は取り外され、そこには応急処置として25ミリ3連装機銃4基と対水上電探(水上レーダー)が設置されました。なお水上レーダーの設置は、日本戦艦としては初めてのことでした。

 そして翌6月、ミッドウェー海戦で主力空母を4隻失った旧海軍は、航空戦力を増強するために航空母艦を量産する必要性に迫られました。そこで白羽の矢が立ったのが、旧式艦になりつつあるうえ事故で砲塔の一部が取り除かれていた「日向」でした。こうして「日向」は「伊勢」とともに、世界でほかに類を見ない「航空戦艦」へ姿を変えることになります。

【写真】「日向」の最期 呉軍港にて

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