「ウクライナ紛争は対岸の火事にあらず」元陸自トップが見たロシア侵攻 自立自衛の必要性
ロシアが侵攻を開始してから2か月が経過してもなお、先行きが不透明なままのウクライナ情勢。国連の常任理事国で、かつ核兵器の保有国である大国ロシアが起こした紛争の怖さを元陸自トップがひも解きます。
独立直後から始まっていたウクライナの政治対立
ロシアがウクライナに侵攻を開始してから、早くも2か月が過ぎました。双方とも停戦で合意することはなく泥沼の様相を呈しています。
今回の侵攻は「決して他人事として捉えるべきではない」。こう話すのは第32代陸上幕僚長を務めた火箱芳文(ひばこ よしふみ)氏です。元陸自トップに、ロシアのウクライナ侵攻とその影響について聞きました。
――ロシアがウクライナに侵攻を開始してから早くも2か月が経ちました。そこで改めて伺います。なぜロシアはウクライナを攻めたのでしょうか?
それについては、時計の針を戻して1991(平成3)年のソ連邦崩壊からお話しした方がよいでしょう。ソ連邦時代、ウクライナ領内にはソ連軍の核兵器も配備されていましたが、ウクライナが連邦から分離独立するにあたり、核兵器は放棄するなど、さまざまな条件が付与された軽武装国家として歩むことが定められました。
これにより、当初は軍事的には中立を保持していたものの、その後に行われる大統領選挙では親ロシア派と親欧米派が対立を続けていくことになります。そして訪れたのが、2004(平成16)年の大統領選挙の不正に端を発した「オレンジ革命」です。このとき、親欧米派のユシチェンコが大統領に選ばれNATO加盟に傾くかに思えたのですが、政権内部の抗争により彼が支持を失った結果、2010(平成22)年の大統領選挙では親ロシア派のヤヌコヴィッチが大統領に返り咲きます。これによりウクライナはNATO加盟を自ら拒否しました。
ところが2014(平成26)年の大規模な反政府デモ、いわゆる「ウクライナの騒乱」により親ロシア派のヤヌコヴィッチがロシアに逃亡したことで同政権が崩壊。再び親欧米派のポロシェンコが大統領に選出されたことで、非同盟方針を改め、NATO加盟に舵を大きく切ったのです。加えて、この選挙戦ではヤヌコヴィッチを支持する東部地域のロシア系住民に対して西欧の支援を受けたポロシェンコの支持者たちがロシア系住民を虐殺するという悲劇を起こしています。
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