実在した「モグラ空軍基地」 深さ30mに軍用機ズラリ スウェーデン伝説の地はいま
「モグラ空軍基地」どんな使われ方をしていたのか
この秘密めいた空間は1942年に造られました。当初の面積は約8000平方メートルでしたが、冷戦期の1955年には2万2000平方メートルに広がりました。飛行機はここから、滑走路へ出て発進し、帰投後は再び地下に入っていったのです。
この基地はスウェーデン空軍の第9戦闘航空団(F9)が使い、サーブ29「トゥンナン」やJ34(英国ホーカー「ハンター」をスウェーデン軍向けとしたもの)などが配備され、基地が閉鎖された後は、翼と胴を分解した80~90機のサーブ35「ドラケン」を保管していたということです。なおサーブ(SAAB)は、スウェーデンを代表する航空機メーカーです。
筆者が「エアロゼウム」を訪れた際は、「ドラケン」やサーブ37「ビゲン」をはじめ、スウェーデン名SK16AのノースアメリカンT-6や「トゥナン」、電子戦専用のサーブ32「ランセン」E、そしてヘリなど歴代の空軍機が展示されていました。「ドラケン」はスクランブルでの待機状態が再現され、「ビゲン」はエンジンがくりぬかれ、お尻から空気取り入れ口までをかがんで通ることができるなど、展示としての趣向も凝らされていました。
地下ハンガーは窓もなく、外界と遮断されています。静かな空間には、スウェーデンがかつて試みた核兵器開発や、1952年6月にバルト海でソ連に撃墜された電波通信傍受機「TP79(DC-3)」についての展示もあり、冷戦期の諜報線のありようを示そうと、隠しカメラが埋め込まれた部屋もありました。
※ ※ ※
スウェーデンは、第2次世界大戦でも中立を保ち、長年「中立国」として存在してきました。しかし、戦後、常に東側と緊張を強いられてきたことは、地下ハンガーを広げたことからも分かります。
フィンランドと同じように、「中立国」スウェーデンが、NATOへ加盟を申請した背景には歴史に裏打ちされた現実的な判断があるのは確かです。地下ハンガーだった博物館が見せる、かつての緊張感がこれ以上蘇らないことを願うばかりです。
【了】
Writer: 相良静造(航空ジャーナリスト)
さがら せいぞう。航空月刊誌を中心に、軍民を問わず航空関係の執筆を続ける。著書に、航空自衛隊の戦闘機選定の歴史を追った「F-Xの真実」(秀和システム)がある。
コメント