貨客船→軍艦へ 空母「飛鷹」竣工-1942.7.31 旧海軍の期待背負うも2年で沈没ナゼ?
空から海から… 「飛鷹」を襲った魚雷
1943(昭和18)年6月、「飛鷹」は駆逐艦とともに中部太平洋のマーシャル諸島へ出撃。しかし日本近海でアメリカ軍潜水艦の雷撃を受け航行不能に陥ります。「飛鷹」は軽巡洋艦に曳航され、再び本土に戻り修理を受けます。
修理後の11月からは、「飛鷹」は物資輸送を主任務とし、再びトラック島へ赴きます。途中マニラ、シンガポール、サイパン島などにも寄港しました。そのようななか翌1944(昭和19)年6月、サイパン島およびグアム島を巡って勃発したマリアナ沖海戦に参加。しかしこれが、「飛鷹」の最期となります。
すでに制海権・制空権ともアメリカ側に握られており、日米の戦力差は歴然でした。19日、早くも潜水艦によって日本の大型正規空母「大鳳」「翔鶴」が相次いで沈められると、「飛鷹」はそれらの艦載機を収容しています。翌20日、今度はアメリカ軍の雷撃機が日本艦隊を空襲。1本の魚雷が「飛鷹」の機関室付近に命中します。これにより「飛鷹」は航行不能となりました。
動けなくなった「飛鷹」を、旧海軍は戦艦「長門」を用いて曳航しようと試みますが、そのさなかにアメリカ軍潜水艦が放った魚雷2本が決定打となりました。命中場所はガソリンタンク付近、「飛鷹」は大爆発を起こします。消火もままならず、「飛鷹」は日没後に沈没。一連の海戦で日本側は計3隻の空母と400機以上の航空機を失い、大敗北で終わりました。
ちなみに同型艦「隼鷹」は戦争を生き延び、1947(昭和22)年に解体されています。ただその要因のひとつが、敗色濃くなるなか燃料や物資が欠乏し、空母の出番がなくなったため、というのは何とも皮肉です。
【了】
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