実物デカッ! 鹿屋に残る旧海軍「二式大艇」は何がすごかったのか レガシーは海自US-2へ
残された機体と現代へ続くレガシー
戦争中からこの二式大艇の性能に注目していたアメリカ海軍は、詫間基地に残された3機に目を付けます。そのなかで最も状態の良かった一二型の第426号機がアメリカ本土に送られることとなり、入念な整備ののち横浜経由でアメリカ本土に渡りました。
アメリカ本土に到着した二式大艇426号機は、バージニア州ノーフォーク海軍基地で各種テストを受けますが、離水能力以外はアメリカ海軍のPBY「カタリナ」飛行艇を上回る性能だったそうです。その後、エンジン故障により飛行できなくなったことで、スクラップも検討されますが、関係者の反対により梱包されて基地に残されました。ただ、このことが426号機の運命を変えたと言えるでしょう。
こうして426号機が永い眠りについている間、日本では二式大艇の返還運動が起きます。一方、アメリカ側も当初は426号機を永久保有するつもりでしたが、経費削減の影響から手放すことを決定しました。
こうした経緯から、東京お台場の船の科学館が引き取りに名乗りを上げ、二式大艇426号機は1979(昭和54)年11月、約30年ぶりに里帰りを果たします。翌1980(昭和55)年7月から同館敷地内で屋外展示がスタート。その後、鹿児島県の海上自衛隊鹿屋航空基地資料館に移譲され、2004(平成16)年4月からは鹿屋航空基地の一角で展示されるようになっています。
ちなみに、移譲時の取り決めにより二式大艇の機体は5年おきに塗装を塗り直すことになっているため、屋外での展示にも関わらず劣化は最小限で抑えられています。とはいえ、構造上は仕方ない部分に雨水が浸透して引き起こす腐食などに加えて、毎年の台風や風雨によるダメージが一定程度あると考えられるため、できれば屋内での永年展示が望まれるでしょう。
二式大艇を作り上げた川西航空機は戦後、新明和工業と名前を変えてYS-11旅客機を製造するとともに、戦前戦中のノウハウを活かして海上自衛隊向けに大型の飛行艇PS-1やUS-1などを開発・生産してきました。いまも、その技術や伝統は、海上自衛隊向けの救難飛行艇US-2に連綿とつながっています。
もし鹿屋に訪れる機会があるのなら、この大きな二式飛行艇(二式大艇)を目の当たりにして、過去と現在の日本の飛行艇に思いを馳せてみるのも良いのではないでしょうか。
【了】
Writer: 吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター)
1964年、香川県生まれ。イタリアやドイツ、日本の兵器や戦史研究を行い、軍事雑誌や模型雑誌で連載を行う。イラストも描き、自著の表紙や挿絵も製作。著書に「九七式中戦車写真集~チハから新砲塔チハまで~」「第二次大戦のイタリア軍装写真集 」など。
世界で唯一?
お台場の二式大艇は何?
先ほどは失礼いたしました。鹿児島に移動していたのですね。