初来日! 108歳の大型帆船「スターツロード・レムクル」の波乱すぎる半生 105歳でバッテリー搭載
ドイツ→イギリス→ノルウェーと流転
第1次世界大戦で敗戦国となったドイツは、「フリードリッヒ・アウグスト」をヴェルサイユ条約に基づく戦争賠償として手放すことになり、1920(大正9)年7月に戦勝国であるイギリスへ引き渡されました。
こうしてイギリスで保管されることになった「フリードリッヒ・アウグスト」ですが、それに目を付けたのが、ノルウェーのベルゲン蒸気船会社(BDS=Det Bergenske Dampskibsselskab)で取締役を務めていたクリストファー・レムクル氏でした。レムクル氏はノルウェーの船員教育に大型の練習帆船が必要であることを訴え、BDSはイギリス政府から「フリードリッヒ・アウグスト」を購入することを決めます。しかし、大型帆船の運用ノウハウを得るのに時間がかかり、初の訓練航海に漕ぎつけるまで2年の歳月が必要でした。
1923(大正12)年、「フリードリッヒ・アウグスト」はノルウェー船籍に移され、船名もレムクル大臣を意味する「スターツロード・レムクル」と改められました。これはレムクル氏が1905(明治38)年から1907(明治40)年にかけてクリスチャン・ミケルセン内閣で労働大臣を務めたことに加え、練習船の取得に尽力したことへの感謝の意が込められています。
なお、第2次世界大戦でノルウェーがドイツに占領されていた時期は、「スターツロード・レムクル」もドイツ軍に接収され、「ヴェストヴァーツ」という船名で宿泊船として使われていました。
「スターツロード・レムクル」は長きにわたってベルゲン船舶学校財団の航海練習船として活用され、全盛期には年間で最大600人もの学生を受け入れていました。1952(昭和27)年からは大西洋を横断してアメリカとノルウェーの間を往復する航海訓練を行っています。
しかし、またしても「スターツロード・レムクル」に試練が訪れます。1960年代に入ると外航海運でノルウェー人船員の需要が減少、それに伴い船員教育を受ける生徒数が減少しました。結果、ベルゲン船舶学校財団は財政難に直面し、多額のコストが必要な大型帆船を手放すことに決めたのです。
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