三菱MSJの祖「MU-2」どう米国でヒット作に? ツウに愛された波乱万丈機 当時の裏側知る人物に聞く
MU-2、どう「型式証明」を取得?その歴史は波乱万丈
「三菱MU-2の型式証明(型式設計変更)を担当した」と話す、とある検査官によると「とにかく耐空性基準や耐空性審査要領を読み必死で仕事をこなしたことが思い出されます」とのこと。ちなみに同氏、それまでは小型機の耐空証明検査の仕事が主だったことから、MU-2ほどの大きさの機体の型式証明の仕事には相当戸惑ったとのことです。
「当時は三菱重工名古屋工機製作所小牧工場で、MU-2の機体を製作、エンジンや計器などの設置は米国で行っていました。売れ行きは良かったです。ただ、輸出当初は日本の証明(米国との耐空証明に関する相互協定による)でよかったものの、米国の他メーカーから指摘が来たことで、米国の型式証明が義務付けられ、その取得に1年以上要しました」(同氏)
つまり、MU-2のサクセスストーリーは、決して“順風満帆”ではなかったのです。その一因として、同氏は次のように分析します。
「短胴型のMU-2A・B型は高速性能を目的にしていましたから、低速性がイマイチで、着陸操作に技術を要する機体でした。それは熟練したパイロットも壁にぶつかるほどでした。主翼の面積が同等の他の機体に比べ小さいため着陸時の速度が速く、その上横のコントロールにスポイラーを採用したため、横方向の操縦に技術が必要だったのです。しかし、同機の特長である高速性が好きな操縦士にとっては大好きな機体だと思います。あの零戦で豊富な乗務経験をもつパイロットは、この機体を『戦闘機そのものだ』と評したほどです」
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