知られざる「日本の潜水艦輸出」その後 タイで“地中に埋まる”まで 乗組員は千葉で訓練
日本に一切保存されていない、戦前の日本製の潜水艦。それがタイに一部保存されています。タイにとって記念すべき艦であったとともに、戦前の日本とのつながりの深さを示すものです。
輸出された日本の潜水艦がタイに一部現存
1906(明治39)年に第六型潜水艇を竣工させてから115年の間に、日本の造船所は数多くの潜水艦を建造してきましたが、旧日本海軍が運用した潜水艦は1隻も残されていません。しかしタイの首都、バンコク南部に所在するタイ王国海軍兵学校の真向いに所在するタイ海軍博物館には、1930年代に三菱重工業が建造したマッチャーヌ級の1番艦「マッチャーヌ」の艦橋と8cm単装砲が保存展示されています。
どのような経緯で日本製の潜水艦の一部がタイに保存されるに至ったのでしょうか。1930年代のタイの状況から振り返ります。
1933年に近代海軍に生まれ変わったタイ王国(当時はシャム王国)海軍は、それから2年後の1935年に潜水艦の導入に乗り出します。
後にタイ王国はフランス領インドシナ(現在のベトナム)との領土問題から日本に接近し、日本から多くの兵器を輸入していますが、この当時のシャム王国は欧米諸国との関係もそれほど悪くはなく、潜水艦の導入にあたっては複数の国の企業が参加する国際入札が行われました。結果、日本の三菱重工業が落札し、4隻のマッチャーヌ級が三菱重工業神戸造船所で建造されることとなりました。
マッチャーヌ級は三菱重工業が旧日本海軍向けに建造した潜水艦に準じて設計されているものの、シャム王国海軍が初めて潜水艦を運用することを考慮して、発令所の下方に浮力を与えるセーフティータンクを配置し、緊急時の急速浮上能力を高めていました。
シャム王国の国際入札に他国の企業がどのような提案をしたのかは不明ですが、この配慮は入札においてプラスの要素となったのではないかと筆者(竹内 修:軍事ジャーナリスト)は思います。
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